革命国家が勝利に向かって前進する玉川上水のブログ

駿河南海軍工廠の後継。近現代史小説を中心に掲載。

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 以上をもちまして、「玉川上水敗戦日記」
 一巻のおわりでございます。

 一時はどうなるかと思いましたが、
 まあ何とかなりまして、良かったですね。

 個人的には、いつまでも浪人生でも別に
 良かったんですが、それだと好きな小説も満足に書けませんで
 ツマランですもんね。
 浪人なんてするもんじゃないですよ。

 今後の展開としては、東京を本拠に独居生活に入りまして
 大学のあまりの有様に失望して、五月病になったり
 そうかと思えば勉強についていけなくて
 単位が取れねーとかテストで赤点とか、愉快なことが色々起きると思いますので
 その辺はまた、このブログやついったーで、随時おしらせしていきます。

 また一方で、小説。

 これは「宝船」以来一年ほど断筆していたお陰で
 一九四四年の米軍なみに兵力(アイデア)が溜まりまくってまして
 あとは書くだけなので、新生活が軌道に乗り次第、歯ごたえのある新作を幾つか
 みなさんのお目にかけられることと思います。

 お楽しみに。

 では、本稿これにて本当におわり。
 みなさん、これからもどうぞ宜しくお願いします。
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三十日:
 午前。まだ友人のクルマがある。
 つまり昨日は、早速うちに泊まっていったわけで
 彼はこの庵の最初のお客さんになった。

 わたしはいつもの原付(YAMAHA-RD50)は持ってきたけれども
 輸送量では当然クルマに及ぶべくも無いため
 使える車輌があるうちに、買出しを済まそうと考えた。

 昼ごはんを買いに行こうなどと、わたしは適当な理由を付けて
 彼を誘い出し、お店の場所がわからないという困難も
 カーナビで華麗に乗り切る。

 午後。友人の車を見送ったあと
 東京電力に電話をかけ、もはやこの部屋は
 我が國の領土である旨通告する。
 敵は我々の要求を受容れ、降伏したため
 電力が確保された。

 しばらくしてガス屋さんが来訪。
 ガスを供給してもらい、ガス台を設置した。

 ほかにも色々、やっていたのだけど
 四時ごろ、昨日に続いてふたたび輸送船が到着。
 往復八時間の行路を、二日間連続で敢行してくれた家人には
 ほんとに頭が下がる。

 最後の大きな荷物だった机が運び込まれ
 引越しは完全に終了。


 


 家具も小物も、殆ど新しく買うことなく
 元々の持ち物の大半を、ここへ運び込んだので
 実家の部屋をまるごと移設したかのような様相となった。

 ホームシックに罹らないように、また
 たとえ実家に戻っても何も無いようにするため
 今回あえてそうした。

 家族には負担を強いる事になったけれど
 いつか本懐を遂げたとき、それをもって
 恩返しに出来るだろうと思う。

 ガスが使えるようになったので、
 便所がある変な風呂(ユニットバスのこと)でシャワーを浴びる。

 実家には自動で温度を調節してくれる機械があったため、
 熱湯と冷水を同時に出すシャワーを初めて使い、結果あッつい!!

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三月二九日:
 今日、藤枝を去る。
 東京に新居を構えるのだ。
 期待と不安が半々、である。

 引越しと云うものを、わたしもしなければいけない。

 昨日まで、その準備らしいものは殆どしておらなんだが、
 小学校からの旧友に、あることないこと
 うまいことばかりを吹込んで(手伝に)来てもらい
 お陰で何とかなった。

 冷蔵庫やガス台、電子レンジ、テレビと云った家財道具や
 わたしの生活になくてはならぬ、映画や蔵書のたぐいを
 輸送船(でかいワゴン車)に積込み、さらばふるさと。
 住み慣れた藤枝を後にしたのである。

 本来我が家のクルマは、非力にして低速の軽乗用車
 日産「モコ」なのだけれど、幸いなことに
 我が親父殿が車検の時期を迎えており
 このワゴンはその代車として借り受けたものである。
(ひどい代車もあったものだ)

 かくて積載は完了し、わたしは友人のクルマに
 通信士兼航法士として座乗。
 作戦は大東京を舞台に、高度な柔軟性を維持しつつ進行し
 日没前にすべての揚陸に成功した。

 本日をもってわたしの住まいとなったこの部屋には
 未だ陸揚げ品が散乱しており、わたしはこれを
 ただちに片付けねばならない問題であると思ったが
 めんどいので寝た。
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二七日:
 試験二日目。今日は昼からなので起きて勉強。
 なんてことはせず、
 九時ごろまで朝寝を楽しむ。
 十時ちょっと前にチェックアウト。

 関係ないけれど、ロビーでネットしてた外国の人、
 昨日チェックインしたときからずっと居るなぁ。


 
(こんな凄いとこには泊まれません)


 今日は朝から雨で、傘を差して泪橋交差点を歩く。
 江戸時代、この辺りには小塚原刑場があり
 泪橋という名は、引き立てられる囚人や、それを送る縁者らが
 涙を流して別れを惜しんだことに因むそうな。

 今は川が埋め立てられてるので、泪橋に橋はないですが、
「あしたのジョー」では橋の下に丹下ジムがありましたね。

 駅近くには刑死者を埋葬したお寺もあり、
 膨大な数のお墓を電車の中からも見ることが出来ます。

 安政の大獄で処刑された吉田松陰や橋本左内も
 ここに埋葬されたそうで
 そのような血生臭い歴史があるからか
 雨ともなると昼間でも、いやーな雰囲気がただよう街です。
 そこが好きなんですけどね。

 まだ時間があるので、駅隣のマクドナルドで100円コーヒーを飲む。
 店内には受験生らしい姿が散見されたけれど、
 彼らもどこかのドヤに泊まったのだろうか。
 暫くして、ひとりの店員さんが
 表へ出、空を見上げ始めた。

「雪ですか」
 と訊ねると、
「みぞれらしい」とのこと。
 道理で寒いと思った。
 やがて帝都は雪に。


 


 試験は正午から。
 今日は昨日と違い、九〇分もある日本史の試験。
 三〇分ぐらいで終わってしまい
 みんなも時間を持て余しているようだった。
 多分大丈夫だと思うが、
 とりあえずこれで受験は終わった。

 試験後、東京駅のとんかつ屋「和幸」で終了を祝し、
 八八〇円のランチメニューで盛り上がる。
 万世と云いここと云い、
 ランチで勝った二日間だった。
 あとは結果を待つのみ。
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二六日:
 とにかく兵士たちは、このあと
 いかなる危険や困難が待っているにせよ
 ようやく出動できて、ほっとしていた。
 依然緊張はしていたものの
 ストレスは多少なりとも和らいでいた。

 今ではだれもが、何であれ、早く仕事を片付けちまおう
 用をすましてしまおう、と思っていた。
 輸送船や平底船の上で、最後の手紙を書いたり、ポーカーをしたり
 はてしなくしゃべりつづけたりしていた。


(コーネリアス・ライアン「史上最大の作戦」)


 


 今日が試験。
 朝五時に起き、顔を洗って出発する。
 つもりだったのだけど、
 mp3プレイヤーを持っていきたくなり、しばらく弄っていたので
 時間がなくなり、駅までダッシュする。
 とつげきー!

 電車には間に合ったが、いきなり疲れきってるわたし。

 静岡駅から新幹線に乗換え。
 ホームで助六寿司を買って、車内で食べる。

 中は稲荷寿司とかんぴょう巻の折詰め。
 こういう時でもないと、かんぴょう巻って食べないかも。
 お寿司屋さんに行って
 かんぴょう巻を食べようとは思わん。

 東京駅からさらに二回乗換えて、大学へ。
 ここまでぶじに着けたので、まずは一安心する。
 
 朝から、どうにも乾燥目気味で
 こすりすぎたのが悪かったのか、目がよく見えない。
 視界が半分くらいになっていて
 時間がすくない国語のテストでは、ちょっと困った。

 昼すぎ、テストが終わり、
 駅まで戻った後、さて……と考える。
 テストは二日間で、明日もあるので
 宿を取ってあるのだけれど、チェックインするには早すぎる。
 どこかへ行こう。
 とりあえず秋葉原まで行く。

 肉の万世(四階)で昼食を取ってまったりしていると、
 飛龍さんから偶然、秋葉原へ行く旨の通信が入り合流。
 押井守監督のトークショーがあるというので
 その後合流したムスペさんと一緒に、ついて行くなどした。

 押井監督はともかく、岡部いさくさんの話がたのしい。
 毎年二月二六日にやっているそうなので、
 用が無ければ来年も行ってみたい。

 夜も更け、宿に移動。
 今回も南千住のドヤ街。

 むかしは日雇い労働者が住み込んでたそうですが、
 最近ではドヤも小奇麗になり、安いビジネスホテルという趣。
 日本語を喋ってる宿泊客がひとりも居ないことを除けば、
 わりあい普通ですよ。
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