革命国家が勝利に向かって前進する玉川上水のブログ

駿河南海軍工廠の後継。近現代史小説を中心に掲載。

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 <前章「第三帝国の神殿にて」

 まどろみのカーテンの向こう、そこに自分を呼ぶ声を聞いて、ヒトラーは気を取り戻した。まぶたが重い。このまま寝ていたい。
「おい、ばか者。総統。そろそろ起きてくれ」
 声は再度言った。しつこい奴だ。ヒトラーは目を半分開いて、声の主を見上げた。骨太で肉の薄い細面が、自分を覗き込んでいた。寝起きにはちょっと、ぞっとしない顔貌だった。
「あっ……あんたは」
 ヒトラーは、しかし相手の名前を咄嗟には思い出せず、眉間を寄せて、言葉を詰まらせる。相手は様子を汲んで、自分から名乗った。
「私はメフィストフェレス」
「あぁ」
 それで、思い出した。
「おれは死んだのか?」
 ヒトラーは長い時間をかけてのっそり身体を起こし、メフィストフェレスに訊いた。メフィストは木製の小さな丸椅子に座って、グラスにウィスキーを注いでいる。メフィストは無言で、壁掛けの日めくりカレンダーを顎で指した。そこにはこうあった。
 一九三四年、八月二十日――。
 忘れもしない。ボヘミア出身の無学な絵描き、第一次大戦を兵卒として戦ったアドルフ・ヒトラーが、国民の九〇パーセントという圧倒的支持を得て、首相兼大統領――所謂「総統」の職に就き、全独逸の頂点に登りつめた日である……。
「これは」
 ヒトラーはベッドから抜け出し、カレンダーに向かって一歩ずつ、恐る恐る、近付いていった。そしてそれを壁から外すと、割れ物を扱うように丁寧に、両手に持って、穴の空くほど見た。見続けた。
「お前は、さっきラジオで演説を終えて、疲れて眠っていたところだ」
 グラスを傾けながら、メフィストが言った。
「もうじき昼メシだ。国防軍の高官たちと昼食会がある」
「昼食会?」
「そうだ。今度の総統就任で、お前は皇帝かそれ以上の権力者になったからな。国防軍もお前の腹の内が知りたいのさ」
「豚どもめ!」
 ヒトラーは唾を吐き捨てるような調子で言った。
「豚ども?」
 メフィストは、事情がよく分からない。
「私にはもう分かっている。連中にとって忠誠とは、私に従うふりをすることであって、それは私の意志に忠実に働くことと同義ではないのだ」
「それじゃ、どうするつもりなんだ」
 メフィストは口をへの字に曲げて、ヒトラーに訊いた。
「殺してやる!」
 彼は即座に答えた。
「即刻処刑する。銃殺だ」
「まぁ待て」
「何を待つ?」
「お前はスターリンか? あの粛清で赤軍がどうなったか、あんたは忘れたみたいだ」
「しかし……連中は私への忠誠心など、欠片も持っていないんだ。あまつさえ、この私を殺そうとまでした! 許せん!」
「お前は、忠誠心ということにこだわりすぎる」
「なんだって?」
「国家への忠誠心と、お前個人への忠誠心をごちゃ混ぜにしてはいかん」
「だがナチス式国家では、指導者への忠誠心が」
「それじゃ訊くが、そういうお前はどうなんだ」
「どうって何が」
「独逸帝国の勇気に応え、志願兵となって戦ったお前だよ。あのときのお前はどうなんだ。独逸皇帝ヴィルヘルム二世への忠誠心は?」
「それは……」
「そういうことなんだよ総統。それに、昨日も言ったことだが、この世界ではあんたに反抗する将軍は有り得ないから、殺される心配はしなくていいよ」
「なるほど」
 それを聞いてヒトラーは、だいぶ落ち着きを取り戻したようだった。そのときノックとともにドアが開き、ナチス副総統のルドルフ・ヘスが姿を見せた。
「総統、そろそろお時間ですが」
 ヘスはヒトラーにそう告げる一方、その暗く落ち窪んだ目で、ちらとメフィストを覗き見た。メフィストもヘスを見たが、彼はすぐ興味を失して、またグラスに向き直った。ヒトラーは答える。
「分かった。すぐに行く」


 昼食会は、ヴィルヘルム街七七番地の首相官邸に国防軍の要人たちを招く形で開催された。
 このときの官邸はまだ改築前で、オットー・フォン・ビルマルクの時代に建てられたものである。ヒトラーはこれまでもこの建物を首相官邸として使用してきたが、彼が総統となった今日からは、この建物の名前もそれ相応に改められるべきだろう。
 ヒトラーは身なりを整え、メフィストとともに会場に向かった。メフィストの外套は目立つので、ヒトラーは背丈に合う親衛隊の制服を見繕い、彼に渡してやった。そうしてメフィストが着ると、それは恐ろしいほど型にはまっていた。
「似合う?」
「凄いな。あんたはアーリア系?」
「さぁねぇ。だが独逸生まれなのは確かさ」
 メフィストは、反りの高い漆黒の制帽をちょっと目深に被り、ヒトラーの後ろについた。そうすると、どう見てもヒトラーのボディガードか何かにしか見えない。
 会場に入ると、既に席は軍服の波で埋まっていた。すこし遅れて登場し、出席者の期待を煽るのがヒトラー流である。
「ハイル・ヒトラー」
「ハイル!」
「ハイル・ヒトラー!」
 金ぴかの階級章をつけた高級将官や、ナチス党幹部の面々、それに親しいヒトラーの友人たちが、次々と立ち上がり、ナチス式敬礼でヒトラーを迎えてくれた。一方、軍隊式の挙手敬礼で迎えたのは、国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロンベルクと、陸軍統帥部長官ヴェルナー・フォン・フリッチュ大将である。
 ヒトラーは肘から先だけを挙げてみせる彼独特の答礼でそれらに応え、中央に置かれた演壇に向かって進み出た。同時に出席者たちも席に座る。みな、ヒトラーの言葉を待っていた。
 ヒトラーは、居並ぶ彼らを一渡り見回した。宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス博士。穏健で良識ある外相、コンスタンティン・フォン・ノイラート男爵。そしてそれを冷ややかな横目で見つめるヨアヒム・フォン・リッペントロップ――。無任所大臣のヘルマン・ゲーリングは、肥満した腹を両手で抱え、そのばかでかい尻を椅子から大きくはみ出させてふんぞり返っていた。ゲーリングの身体を充分に支えるためには、椅子が二つ必要だろう。
 国防軍の軍人は、オリーブグリーン色の陸軍の軍服が圧倒的に多数派だった。先のフリッチュ大将に加え、兵務局(ヴェルサイユ条約で禁止された「参謀本部」の言い換えである――)局長で、やがてヒトラー暗殺計画の主犯となるルートヴィヒ・ベック大将、それに機甲部隊集中戦術の生みの親、ハインツ・グーデリアンも来ていた。
 そこに座る彼ら閣僚、将軍、一人一人の顔を、ヒトラーは久しく忘れていたように思った。一部の例外はあるにせよ、いまここに来席した人間の大半は、ヒトラーはその最期まで共にあった者たちである。それなのに、一体どういうことか? こうして総統就任の祝いに訪れてくれた彼らは、あのとき、地下壕の中にうずくまり、敵の砲声に身を竦ませていた者たちとは、まったく別人のように見える。
「あぁ……。みなさん」
 ヒトラーは出席者に向かって、そう切り出した。注意を促す言葉に「諸君」を使わなかったのは久々のことだ。
「私は今日、八千万の独逸国民から、故ヒンデンブルク大統領の後継者に、正式に選ばれた」
 ヒトラーは言葉を探しながら、朴訥と話していく。会場を見回してメフィストを探すと、部屋の隅に椅子を置き、影と同化していた。
「私はこれまでの国家社会主義運動の中で、多くのことを経験した。栄光に没落、貧困、戦争、裏切り……。その経験の多くは、必ずしも誇るべきものとは言えないが、しかし今になって追想するに、それらの、それら諸々の体験は、私と、そして私の八千万の同志にとり、必ずや……必ずや、『よき糧』となることだろう。将来の栄光は、如何なる時代にも、よき糧と、よき……土壌の上に成る。そしてよき土壌とは、我が第三帝国である」
 一同は注意深く、ヒトラーの言葉に耳を傾けている。話が進むにつれて、小刻みだったヒトラーの身振りが徐々に大きくなり、口の端からほとばしる彼の言葉に、熱い血が通い出す。ヒトラーは言った。
「従って、我々が国家を語るときには、その栄光を考えねばならない。栄光とは何か。栄光とは未来である。第三帝国を超えた先、我々を超越したその先に、独逸国民の未来がある。我々国家社会主義者たる者は、第三帝国に甘んじて、未来を忘れてはならない。では独逸国民の未来はどこにあるのか? それは“第四帝国”の中にある。――今日、私が独逸総統の職に就き、祖国における国家社会主義体制は完成された。私はこの歴史的日を記念して、第三帝国建設のための闘争の終了を宣言したい。そしてこれからは、第四帝国の時代である。未来を創る時代である」
「すばらしい!」
 ヒトラーが演説を終えると、まずゲッベルスやリッペントロップといった彼の追従者たちが、我先にと歓声を挙げた。そして割れんばかりの拍手の波が会場を包み、ヒトラーは満足げに一同を見回して演壇を降りた。ヒトラーに対する歓呼の嵐はまだ続いている。
「総統の言ったこと、ありゃどういう意味だ?」
「さぁ? だが総統の話を聞いていると、なんとなく納得したような気になるから不思議だ」
 二人の軍人が猿のように手を叩きながら言ったが、そんな会話は勿論かき消されて、周囲に洩れることはなかった。
「さすがは総統閣下、お見事でした」
 党幹部が集まっているほうへ行くと、チビのゲッベルスが椅子を奨めながら擦り寄ってきた。背の高い軍帽と厚底ブーツが、面白いほど似合っていない。ヒトラーは「そうかね」と素っ気無く答え、冷水で喉を潤した。
「近頃の数々の名演説の中でも、白眉なものと言えますな。総統の地位を得て、閣下はなんとなくお変わりになったのではありませんか? 迫力がついたと申しますか」
 メフィストは一人で水割りを作りながら、そりゃ、首都が最前線になる経験をすれば、誰だって変わるだろうさ、と内心で独白した。ヒトラーも同じ気持ちだったかもしれない。
 昼食会は既に始まっていた。テーブルに並べられた食事から、好みのものを取り分ける方式である。健康好きのヒトラーの嗜好により、肉料理など脂分の多い料理は出来る限り避けられ、サラダやソテーの類が大半だ。
「我が総統」
 ヒトラーがオニオンスープの皿を掬っていると、ベック大将がやって来た。ベックは先述した通りヒトラー暗殺計画の主犯であり、ヒトラーはその罪を問うて、彼を自殺に追い込んだ。その男がこうして生きて口を利いてくるので、ヒトラーはこめかみにむず痒いものを感じ、思わず身構えてしまった。
「この度はご就任おめでとうございます」
 しかしベックは、ヒトラーの予感とは対照に、真摯な調子で祝いの言葉を投げかけるだけだった。このときのベックは、まだヒトラー暗殺など考えもせず、それどころかナチスの強国路線に共鳴する「軍人」なのだ。
「あぁ……。ありがとう、将軍」
 ヒトラーは額に滲む汗を取り急ぎ拭いながら、苦笑いでベックに応じた。ベックは周囲に軽く目線を配り、それからちょっと声を落として、切り出した。
「ところで、例の件ですが」
「例の件?」
 ヒトラーは訊き返した。ベックはすこし笑って、
「おとぼけですな総統閣下。例の……ヴェルサイユ条約の」
「あぁ、再軍備」
 ヒトラーはその言葉を懐かしく思い出した。ヴェルサイユ条約で課せられた不当な軍備制限条項を破棄し、再軍備を宣言するのだ。ベックは「そうです」と頷いた。
「我が国は大陸国。空軍は新設するとしても、当然、陸軍の顔も立てて頂けるのでしょうな」
 即ち、暗に陸軍の造兵計画を優先しろと言っているのである。
 ベックはこのとき、ヒトラーが一も二もなく、自分の望む答えを即答してくれるものと確信していた。何しろ独逸は東西に国境を持ち、西のフランス、東のポーランドに挟まれている。加えてポーランドの背後には、宿命の敵であるソビエト連邦が控えているのだ。
 ゲルマン民族の生存圏拡大を掲げるヒトラーにとり、陸軍力の増強は急務であるはずだった。だが――。
「ヘス、」
 ヒトラーは背後を振り返り、誰とも話さず、食事も取らず、ただ立ち尽くしていた副総統ヘスを呼び付けた。
「海軍統帥部長官をここへ」
 ヘスはだまって頷き、部下たちと談笑しているエーリッヒ・レーダー提督の肩を無言で叩いた。その姿は子供のころに聞いた背後霊そっくりだった。レーダー提督は飛び上がって驚いた。
 ――何をする気だ?
 メフィストは席を立ってヒトラーに訊ねたかったが、その前に丸眼鏡をかけた、賭博場の元締めのような胡乱な男に呼び止められた。親衛隊全国指導者のハインリヒ・ヒムラーである。
「何だあんたは」
 メフィストは相手に訊いたが、ヒムラーはメフィストのアイスブルーの瞳や、長身の体躯をしげしげと眺めるばかりで、なかなか答えようとしない。そうして数十秒してから、ヒムラーは細く低い声で、ようやく言った。
「私の顔を知らんのかね……? 君は」
「だから訊いているんだろ。私に何か用でもあるのか」
「呆れた奴だ。無礼だぞ」
「お前の顔か?」
「私は親衛隊長官だ」
「それがどうした」
「君が着ているその服は」
「なかなかいい服だろう」
「愚か者!」
 ヒムラーは、ちょっと頭に来たらしかった。
「官姓名を名乗れ!」
「私はメフィストフェレスだ」
「何だ? ファウスト博士か」
「ちがう。ファウストは博士で私は悪魔だ」
「意味が分からん」
「頭が悪いな。博士と悪魔では視覚的にもまったくちがうよ。博士は白で悪魔は黒」
「そういうことを訊いているのではない。名前は何だ。出身地は」
「うるさいなぁ。もう、あっちに行ってくれよ」
「いやいや」
 その後もメフィストは、ヒムラーと小一時間、噛み合わない会話を続けたので、ヒトラーの元へ行くことは出来なかった。
「お呼びですか、総統閣下」
 その頃レーダー提督はベックの隣に立って、ヒトラーに訊ねていた。ヒトラーは彼に対して頷き、それから言った。
「将軍とも話していたところだが、ヴェルサイユの件は、機を見てやっつけるつもりだ。そうなれば、我が海軍にも北海を指向する組織的戦力を整備して貰わねばならん」
「仰るとおりです」
「私は君たち海軍にはかねてからこのことを打ち明け、海軍再建に向けて計画を練るよう命じておいたと思うが、それでいま計画中の大型水上艦艇はどれ位だったかな?」
「はぁ……」
 レーダーは先刻のベックのようにあたりを警戒しながら、ヒトラーにだけ聞こえる小声で答えた。
「まず建造中のシャルンホルスト級戦艦ですが、これは現在建造を中止しております。というのも再軍備宣言の後、改めて三万トン級の戦艦として完成させるためです。これが二隻」
「うん……続けてくれ」
「次に計画しているのが四万トン級の高速戦艦でして、恐らく三八センチ砲八門、三〇ノット程度の艦になるかと……これも二隻です」
「ビスマルク級だな」
「はい?」
「いや、いい。次は」
「次が大本命ですよ。総統閣下」
 レーダー提督は胸を反らして、大威張りで言った。
「なんと、基準排水量五万五千トン! 四〇センチ砲八門、速力三〇ノットの巨大戦艦を、六隻も計画しているのです。凄いでしょう!」
 しかしヒトラーは驚かなかった。
「アホ!」
「え?」
「君は、これからの海戦は航空機だということが分からんのか?」
「航空機ですか、総統閣下? しかしあんな蝿のような兵器で、巨大戦艦を沈めることは」
「馬鹿!」
 ヒトラーはレーダーの因循姑息を怒鳴りつけた。
「航空機の前では、戦艦など鉄屑同然だ」
「そうでしょうか……」
「そうだ。そんな無用の長物を六隻も造る馬鹿が何処にある。すぐ空母に変更したまえ。輸送艦も必要だ」
「はぁ、わかりました」
「お待ち下さい総統閣下!」
 そのとき、二人のやり取りを聞いていたベックが横から口を挟んだ。
「何だ。まだ居たのかベック」
「まさかとは思いますが閣下、あのような金食い虫の海軍の言い分を聞いて、予算を回すおつもりですか。我が陸軍はこれから機甲師団も作らねばならず、部隊の機械化も」
「うるさいだまれ。真の金食い虫はお前たち陸軍だ」
「なんですと」
「幾ら戦車を量産しても、歩兵を大量に動員しても、結局モスクワに辿り着くことは出来ないんだ。どんなに陸軍に金を回したところで、どうせスターリングラードで包囲されることになるのは分かってる。だから私はもう陸軍に期待することはやめたのだ……。そもそも、陸軍でソ連と張り合おうという考えが甘かったのだ」
「仰っている意味が分かりません、閣下」
「君たち陸軍は、結局、どんなに頑張ってもソ連には勝てないのだ。そしてイギリスを征服することも出来ない。これほど無駄なことがあるか。陸軍は帝国の悪性腫瘍だ。蛆虫だ」
「総統閣下、お言葉が過ぎます」
「ベック」
 ヒトラーは椅子から立ち上がって、ベックと目を合わせ、そして彼に問うた。
「君は、私の決定に何か不満があるのか」
 するとベックは、すぐさま直立不動の姿勢を取り、
「ありません我が総統」
 と答えた。
「本当に何もないんだな!」
 ヒトラーが重ねて訊くと、彼は再び、
「偉大なる総統閣下のご決断に不満など抱くはずもありません!」
 ヒトラーはそれで満足して、ベックの肩に軽く手を置いた。
「それならば宜しい。下がっていいぞ将軍」
「はい下がります」
 そうしてベックは、元の席に戻っていった。ヒトラーはレーダー提督に向き直る。
「提督、すぐに海軍航空隊の建設に取り掛かるんだ。必要ならゲーリングから機材と搭乗員の便宜を図って貰うといい」
「承知致しました」
 レーダーはそう答えたが、悪いことに、その声がゲーリングの耳に入ってしまった。収まらないのは当人である。
「なんだと!」
 ゲーリングはその巨体をゆさゆさ揺らし、周りの人や物を掻き分けながら、凄い形相でヒトラーの前に現れた。
「なんていうことを言い出すんだ、総統」
 ゲーリングは唾をぶちまけながら言う。
「海軍のくそったれどもにくれてやるものなど、うちにはネジ一本たりともないんだぜ?」
「これは大局的に見て、必要なことだ。ゲーリング」
「何が大局的だ。空母だの海軍航空隊だのと、気でも狂ったのか」
「イギリスと戦うためには、どうしても艦隊が必要なんだ」
「そうです」
 レーダー提督もヒトラーと口を揃えて、ゲーリングに言った。どういう気まぐれかは知らないが、ヒトラーがその気になっているのだ。それを横から潰されたのではたまらなかった。
「強大な海軍を有するイギリスへの攻撃は、有力な水上艦隊なくしては成し得ません」
 するとゲーリングは、250キロ爆弾でも入っていそうな大きな腹を抱えて、大笑いに笑ってみせた。「水上艦隊だと」。
「そんなもの、航空機の前には鉄屑同然だ」
「それは、私がさっき言っただろ」
「いや総統、あんたは甘いね。我々独逸空軍が再建された暁にはですよ、イギリスの海軍力などは、ほれこの通り」
 ゲーリングは、ちょうどヒトラーのテーブルにあった苺ショートを手掴みでつまみ上げ、それを丸呑みにしてしまった。
「一息ですべてたいらげてみせますぞ。ぶはははは」
「きさま!」
 ヒトラーは激怒した。
「このボケナス! なぜ食べた!」
「え、あの」
 ゲーリングは口元にクリームをつけたまま、驚いて立ち尽くしている。ヒトラーは怒鳴った。「ゲーリング!」。
「だいたいきさまは、前の戦争でも今と同じことを言っていたぞ!」
「な、なんのことだ。総統」
 ゲーリングは事態が分からないらしかったが、ヒトラーの追及は止まない。
「そうだ、前の戦争では、きさまの口車に乗ったのがすべての間違いの元だったんだ。きさまはイギリスを飛行機だけで屈服させると言って果たせず、スターリングラードでも、軍の兵站を空輸だけでまかなえると言って出来なかった……。一体きさまは何だ! 私の邪魔をするのがそんなに楽しいのか」
「待ってくれ総統、おれはそんなことまだ一度も」
「うるさい! きさまの言い訳はもうたくさんだ。死ね! 自殺しろ」
「あっ、ばか」
 激昂したヒトラーの言葉を聞いて、メフィストが立ち上がりかけた。しかしその時にはもう遅かった。ゲーリングはホルスターの拳銃を抜いて自らのこめかみに押し当て、引き金に指をかけていた。
「ゲーリング」
 その時になって、ようやくヒトラーも己の言葉の迂闊さに気が付いた。だがヒトラーの制止の声を聞くよりも、銃口から弾が出るほうが早かった。ゲーリングの左即頭部から脳漿が飛び出し、続いてどす黒い血が爆散して床を染めた。
「医者を呼べ!」
 会場は騒然となった。しかし誰の目から見ても、ゲーリングが確実に即死しただろうことは明らかだった。完全で、迷いも間違いもない拳銃自殺だった。ヒトラーは一言もなく、この古い――途方もなく古い友人の亡骸を、ただ茫然と見下ろすことしか出来なかった。
「契約の意味が分かったか、総統」
 メフィストがヒトラーの背後から、そっと囁きかける。
「これが本当の忠誠心というやつだ。主命に背くようなことは絶対にない。お前が何か言えば、それは即、実行される」
 ヒトラーは、小さく頷いた。
「よく、気を付けておこう」


 その頃会場の外では、人々の混乱をよそに、ヒムラーが受話器を取って話していた。
「ヒムラーだ。たった今、理由は分からんがゲーリングの奴が自殺した。……そう、首相官邸だ。いや、話はそのことではない。すこし君に調べてもらいたいことがあってな。恐らく作戦名か何かだと思うが、メフィストフェレスという……そうだ、悪魔の名だ。『ファウスト』に出てくる。君はゲーテは読むか? ――あぁ、それなら結構。では宜しく頼むぞ、ハイドリヒ」




 >次章「死刑執行人もまた死す」


コメント

第四帝国といえば
ノビーの20世紀最後の真実ですな。
2008/01/22 01:40URL  異邦人 #-[ 編集]

賛否あるけど私は好きです。
表題はそこから取りました。
矢追さん全盛のころの本ですねw
2008/01/22 09:13URL  早池峰山(廠長) #w1X/gZh6[ 編集]


グラーフツェッペリン活躍の予感かな?
2008/01/22 20:34URL  葛城マサカズ #-[ 編集]

なんと申しますか、
グラタンを出すためにメフィストフェレスを呼び出しました。
2008/01/23 13:27URL  早池峰山(廠長) #w1X/gZh6[ 編集]


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*ようこそ、トラブルシューター。*

Computer:
 このコメントフォームに「/」を重ねて書くことは反逆です。
 URL欄にアドレスを入れる者は、恐らく反逆者以外にはいません。

 市民の幸福は、コメントを書き、Computer に奉仕することです。
 あなたはComputer の仕事に感謝して、喜んでコメントを書きますね?
 そうしないことは反逆です! 直ちに処刑の対象になります!!
 
















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