革命国家が勝利に向かって前進する玉川上水のブログ

駿河南海軍工廠の後継。近現代史小説を中心に掲載。

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 <前章「第四帝国」

 一九四一年。バルト海に面する独逸北部の港町、キール。
 独逸海軍の歴史とともに歩んで来たこの軍港の街は、一年を通して見ると冬の間が長い。
 そのため景観を写真で観ている分には結構だが、実際に住むとなると、きっと風の強さや冷たさに驚かされることになるだろう。坂も多く、加えて険しい。
 しかし艦隊に勤務する海軍将兵たちにとっては、そんなことを言っていては仕事にならないのが辛いところだ。
 ここは寒いからといっても、まさか基地をドナウ川に移転するわけにもいかないし、六年前に復活した徴兵制は、水兵たちを彼らの乗艦と同じように、この暗く寒い港の中に、しっかりと釘付けにしている。そうしてそれら海軍の男たちは、これもやはり彼らの乗艦と同じように、長い兵役期間を無事満了するか、或いは死ぬまで、艦上での過酷な重労働に従事するのが義務であった。その義務を果たして初めて、男は男として認められるのである。
 しかし、世の中の仕組みがそのように決まっていれば、そこから外れていくアウトローが生まれてしまうのも、それはそれで仕方のないことだ。
 そしてここにも、そのアウトローの一人が居る。親衛隊上級大将、ラインハルト・ハイドリヒ。今でこそ国家保安本部長官として警察権力の大元締めとなっている彼だが、かつて海軍軍籍にあった折、独逸海軍総司令官エーリッヒ・レーダー提督の姻戚の娘との痴情のもつれが原因になり、海軍を追放された過去を持っている。
 今そのハイドリヒは、キールの石畳の街路上、公用車のメルセデスベンツの車中にあった。しかし車は数分前に停止したきり、再び動き出す気配がない。
「曹長」
 彼は宝玉のような碧羅の眼を動かして運転手のSS曹長に言った。「なぜ停まっている?」。
「渋滞であります」
 曹長は短く答えた。
「前方で事故かもしれません」
「渋滞は分かっている」
 スポーツ万能で知られ、フェンシングの五輪選手にも選ばれた経験を持つ年若い上級大将は、このような無駄な時間を何よりも忌避する人間だった。土台彼は、古巣のキール軍港に向かうということ自体が最初から気に食わず、朝から機嫌が良くなかった。しかし今日軍港を視察に訪れる総統が、海軍出身のハイドリヒに是非とも同行して欲しいと言うので、仕方なくやって来たのだ。
 再軍備宣言以降、ヒトラーはますます海軍再建計画に熱中し、独逸海軍はハイドリヒを追放した時とは比較にもならないほどの大所帯になっている。いったい、総統は何を考えているのだ? 海洋国でもない我が国がそんな大艦隊を保有してどうしようというのだろう。そのことはみんなが不思議がったが、反対する人間は誰もいなかった。ハイドリヒにとっては海軍再建よりも、そのことがもっと不思議だった。
「蹴散らしますか」
 ハイドリヒの声質から意を汲んで、曹長が振り返った。この時期の親衛隊、特にハイドリヒが率いる国家保安本部は、親衛隊情報部に加え、秘密警察、刑事警察をも傘下に置き、有り余るほどの力を持っている。事故渋滞を蹴散らして進むくらいのことは何でもないはずだった。
「いや、」
 しかしハイドリヒは機嫌を損ねてはいても、やはり冷静な男だった。キールは独逸大洋艦隊の膝元であり、独逸海軍の街だ。総統の信望が厚い今の海軍と、無闇に事を構えるつもりは彼にはまだなかった。
「そこの路地に入れろ。近道しよう」
「了解」
 曹長はハンドルを切って、車を暗い路地の中へと導いていった。ドブに渡された木の板がガタガタと鳴り、車が小刻みに揺れる。


 ハイドリヒの地理感覚は健在だった。海軍を除隊後、一度も訪れることがなかったこの街だが、車はハイドリヒの記憶通り、細く入り組んだ路地を抜け、軍港に出た。車は営門の前で武装した海軍兵に止められ、彼は身分証を求められた。
「親衛隊上級大将ラインハルト・ハイドリヒ。総統閣下のお召しを受けまかり越した」
「存じております。国家保安本部長官閣下ですな」
「その通りだ。門を開けてもらおう」
「招待状をお持ちですか」
「あるわけがない。招待は電話で受けたのだ」
「口頭ですか」
「そうだ。総統直々のお招きだ」
「困りましたな」
「何を困ることがある」
「ここをお通しするには、総統閣下か海軍総司令官のお招きを裏付けるものが必要になります。海軍総司令官の招待状もありませんか」
「海軍総司令官?」
「はい。帝国元帥エーリッヒ・レーダー閣下です」
「あぁ、あのくたばりぞこないか」
「何と申されましたか」
「気にするな。それより門番、きさまはどうあっても私を中へ入れないつもりかね?」
「そういう規則であります」
「そうか。いや、規則結構」
「申し訳ありません閣下」
「君が謝ることはないさ。門を守るのが門番の規則だろ」
「そうであります」
「それならば、我々も我々の規則に従って行動するまでだ」
「と、仰いますと」
「ほう。君は我々の規則に興味があるのかね」
「伺います」
 ハイドリヒは拳銃の銃口を歩哨に向けた。他の海軍兵からは死角になって、見えない。
「『邪魔者は消える』だよ、君。私を追い返すなら、私は直ちに武装親衛隊を動員し、この基地を跡形もなく吹き飛ばす」
「なんと愚かな人だ。そんなことはあなたには出来やしない」
「出来るさ。海軍は総統を監禁しているな」
「根も葉もないことです。誰がそんなことを」
「総統の身辺警護は我々親衛隊に一任されているものだ。その我々の立ち入りを拒むのは、海軍が叛乱を企てていると判断するしかない。ヒムラー長官は大喜びだ。きさまらは全員海に叩き込んでやる」
 歩哨は肩を竦め、部下に営門を開けさせた。
「あなたには負けました。お通り下さい」
「招待状はいらんのか」
「特別な事情を除き、と規則にはあります」
「そうかね。ではそういうことにしておいてやる。行け曹長」
 ハイドリヒは前席の曹長の肩を叩いた。車は静かに動き出し、基地の中へ入っていく。歩哨は小さく嘆息しながら、走り去っていくハイドリヒの車を見送った。
「おい、おまえ」
 その歩哨の背後から、声をかける海軍将官があった。のっそりと背の高い、国防軍情報部長のヴィルヘルム・カナリス提督である。親衛隊情報部を支配下に置くハイドリヒとは商売敵と言える人物だ。
「これは閣下」
 歩哨は慌てて背筋を伸ばし、カナリスに敬礼を送った。カナリスは答礼せず、暗く淀んだ細い眼で、無表情のままハイドリヒの車を見やった。車は角を曲がって、埠頭のほうへ消えていくところだった。カナリスは歩哨に聞いた。
「奴は招待状を持っていたのか?」
「いえ、それが」
 歩哨は、先刻のハイドリヒとのやり取りをかいつまんで、カナリスに話した。カナリスは彼の話を聞いて小さく頷き、綺麗に剃った顎を撫でる。武装親衛隊とは厄介な相手だ。彼らは陸軍の叛乱に備えた訓練を積み、装備を整えているだけあって、軍港を守備する海軍歩兵程度では勝負にも何にもなりそうもなかった。
 国防軍情報部長として長く勤務するカナリスだが、かといっていつまでもその職に甘んじているつもりは彼には毛頭ない。カナリスは考えた。帝国内で地位を得るためには、強固な後ろ盾が必要だ。その背景として一番有望なのは、やはり海軍だろう。
「伍長に進言してみるか」
 カナリスはそう思い立ち、踵を転じて埠頭のほうに歩き出した。海軍にも有力な陸戦部隊が必要だ。親衛隊の脅迫に屈しないためだが、表向きの理由は幾らでもつけられる。


 その頃ヒトラーはレーダー提督の案内で、埠頭を視察していた。
 視察といっても悠長なもので、港内に投錨している各艦を岸壁から眺めやるだけである。
「再軍備以降の六年間で、我が海軍は格段に大規模化しました」
 得意げに説明するレーダー提督の言葉に無言で頷きながら、ヒトラーは岸壁を散策している。そのヒトラーの後ろには、やはりメフィストフェレスが付き添っていた。
 レーダーの言うとおり、この数年で独逸の海軍力は飛躍的に強化された。ヒトラーはミュンヘンで交わした各国との合意を守り、チェコスロヴァキア解体も、ポーランド侵攻も行わなかった。ミュンヘン会談でイギリスに見捨てられたチェコスロヴァキアは、結果として独逸の影響圏に取り込まれたが、ヒトラーはチェコスロヴァキアにそれ以上のことは求めず、対英戦争は回避されたのである。従って独逸海軍再建を託したZ計画も、若干の遅延を除けば特に致命的な問題も起きず、順調に進展している。
「これからの戦争は、機動力が鍵を握る」
 というのはヒトラーの古くからの考え方だったが、彼は先の戦争で実際に地上軍を高速化してみて、
「思っていたほど速く進撃出来るものではない」
 ということに気付かされた。なぜならば、戦車は走れば燃料を消費し、兵士は毎日糧食を必要とするのである。しかしトラックや馬車による輸送量は限定的であり、鉄道は敵の攻撃に晒されやすい弱点を持っている。そのため高速地上軍は、それ自体は高速であるにも関わらず、補給を待ってたびたび停止する必要があり、また歩兵師団は全軍が自動車化しているものではない。――そしてロシアの大地は、ヒトラーや将軍たちの想像より遥かに広大で、環境も厳しかった。
 ヒトラーは決断したのである。
「腐った建物は、放置するだけで崩れ落ちる」
 ヒトラーの真の敵がソ連と共産主義的知識人であることに変わりはないが、彼は前回の失敗から学び、直接ソ連を軍事攻撃することは諦め、その代わりソ連を包囲・隔離することに決めたのだった。
 ソ連の周囲に鉄壁を巡らし、これを反共連合軍によって取り囲む作戦である。
 無論、この反共連合軍の旗手は、共産主義者の扇動に幻惑されない、優秀なゲルマン民族の国家を置いてほかにはない。共産主義者は、既に欧州各国に浸透を始めている。それは英仏などの強国でさえ例外ではないのだ。
 従って当面のヒトラーの戦略は、
「ヨーロッパから共産主義の毒を除去し、そして独逸中心の反共連合を組織する」
 であった。
「提督」
 ヒトラーは、M級巡洋艦として計画され、先頃完成したばかりの軽巡「ミュンヘン」を埠頭から見上げつつ、レーダー提督に言った。「ミュンヘン」の甲板では、八八ミリ砲の仰角を上げ下げして、動作を点検している。
「我が国が、我が国のことのみを考える時代は、第三帝国の完成とともに終わった。これからの第四帝国は、世界のことを考えねばならん。かつてのローマがそうであったように、我が大独逸が世界の人民を主導するのだ。そして共産主義の魔手から人類を護らねばならん」
「はい総統閣下」
 メフィストは、レーダー提督が従容と頷くのを横目で見た。
 ヒトラーはこれまでも何度も繰り返し、同じ事を言ってきた。それは語る対象が人間ではないメフィストフェレスであっても、同様だった。彼は共産主義を病気であると考え、そしてそれを救えるものは自分以外にはないと確信している。メフィストは、ヒトラーの死から五十年後、ソ連が崩壊し、共産主義も潰れたことを知っているが、それをヒトラーに教えることはなかった。彼は自分の死後のことをメフィストに訊ねることはなかったし、そもそもヒトラー自身が、自分は死んだとは思っていないのだ。
「今は共産主義者の陰謀によって、ヨーロッパは分裂した状態にあるが、やがては反共の旗印の下、統一される日が来るだろう。ヨーロッパの秩序がその正しい状態を回復したとき、我々と共産主義者の戦いの場は、他の非文明国に移される。そのとき共産主義の思想侵略を打ちのめすものは、海軍力とそれに裏打ちされた海軍の輸送力だ。かつてローマは、迅速な軍事展開によって、暴動や叛乱を制した。我々もそれに倣うのだ」
 艦船は、その国が制海権を持つ限り、トラック何千台分もの莫大な物資を、一隻で、あっという間に遠隔地へ運ぶことが出来る。言うなればヒトラーの機動力重視戦略が形を変え、海へと向けられた形だった。
 独逸による統一ヨーロッパが建設された暁には、この艦隊が統一ヨーロッパ海軍となるのだ。
「あまり趣味のいいコレクションとは言えないな、総統」
 遠くのブイに係留されている戦艦「ティルピッツ」の姿を見ながら、メフィストは言った。あれ一隻に一体どれだけの金が注ぎ込まれたものか、メフィストには見当も付かない。更に建艦計画全体の進捗率は、まだ半分にも満たないのだ。
「プラモデルで我慢しろよ」
「馬鹿者、七百二十分の一で戦争が出来るか。軍隊は戦争に勝つためにある」
「ふむ、玩具の次は戦争ごっこというわけだな。懲りないなぁ」
「なんの。今度は我々が勝つのだ」
「あの。総統閣下、どうぞこちらへ」
 埠頭の曲がり角で、海軍の参謀が呼んでいる。ヒトラーは彼に小さく頷き、再び歩き出した。


 ハイドリヒは、渋滞と検問のために時間より遅れて到着したが、彼はヒトラーの視察するコースを素早く予測して、先回りでヒトラーを待ち構えていた。
 彼は長年の経験から、ヒトラーが楽しみを最後に回す質であることを知っていたし、今のヒトラーにとり、この視察の一番の目的が何であるかも、彼には分かっていた。だから彼は迷わず、空母「グラーフ・ツェッペリン」の埠頭に車を向けさせたのである。
 就役間もない最新鋭の航空母艦で、車を停めると潮の香に混じって、舷側から漂う強いペンキの臭いがした。全長二六〇メートル、基準排水量二万七千トンの艦体は、まず巨艦と言って間違いはない。
「これが、我が国初の空母ですか」
 聳える檣楼を運転席から見上げて、曹長が言った。「ツェッペリン」の艦橋は他国の空母で一般的な箱型艦橋ではなく、巡洋艦のそれのような独特の形をしている。空母に関する経験が皆無だった独逸海軍が試行錯誤を重ね、ようやく就役させた艦だが、海軍嫌いが骨髄まで達しているハイドリヒは、その姿を見るなり、
「不細工な艦だ」
 吐き棄てるように言ったものである。
「そうでしょうか?」と曹長。
「まったくくだらん。こんなものが一体何の役に立つと言うんだ。海軍協定の排水量制限を無駄にするだけだ」
 独逸海軍は再軍備宣言後に締結された英独海軍協定により、対英三五パーセントの軍艦の保有を認められている。この当時の航空母艦はまだ攻撃色の強いものではなく、通商護衛、及び偵察用の艦種であると目されていた。元海軍軍人のハイドリヒだけでなく、世界中の海軍将校の殆どが、それと一致した見解を持っている。
 守るべき海上補給路を持たず、商船の数も少ない独逸は、そのような防御兵器を建造するよりも、仮想敵イギリスの海上補給路を脅かす艦船――例えば潜水艦、高速装甲艦などに、限られたリソースを割くべきではないのか……。ハイドリヒはそのように考えたが、しかしこれはイギリスを始め、強大かつ侵略的な独逸大洋艦隊の復活を警戒する国々には歓迎された。ナチスもまた「我が国には他国を侵略する意図はない」というプロパガンダの根拠として、これを盛んに利用した。「我々は無闇に強大な軍事力を求めるものではない。我々の正当な権利を保障する自衛力を欲するのである」。そして苛酷なヴェルサイユ条約の内容に同情的だった多くの知識人が、この言葉を信じた。
 そして独逸海軍の努力は実り、彼らはこうして、初めて空母というものを保有したのだった。
 しかしである。
「なんて、愚かなことだ!」
 海軍再建のために予算を削られた陸軍、多くの機材と人員を海軍に横取りされた空軍、そしてハイドリヒら熱狂的な国粋主義者たちにとっては、ヒトラーの造兵センスに疑念を抱かざるを得なかった。
 現在でさえ多数の戦艦を保有するイギリス海軍は、更に新型のライオン級戦艦に着手しているし、西部国境のフランス陸軍は、マジノ線を北海まで延長しつつある。これら二強国にくらべて、独逸の軍備は明らかに弱体だった。仮に対英仏開戦となった場合、彼らはフランス国境のジークフリート要塞に篭って、連合軍とキャッチボールでもするしかない。
 それでもなぜか、そのことについて総統に直接意見する者は少なく、その少数者たちも、ヒトラーと数分語り合っただけで、すっかり説得されて帰ってくるのである。
「粗大ごみめ!」
 ハイドリヒは、うず高くそそり立つ「ツェッペリン」の乾舷を見上げて思った。
「こんなもの英仏海峡の入り口に据えて、沈めてしまうのが一番だ。そうすればUボートの投入海域を集中出来、その方がよほど戦果が上がる」
 もっともそれは現実的な考えとは言えなかった。現行のZ計画は水上艦隊重視の戦略であるため、潜水艦隊は個々の戦闘能力は兎も角、三十隻に満たない配備数しかない。一方、潜水艦隊長官のカール・デーニッツ提督は、イギリスを潜水艦で降伏させるためには、少なくともUボート三百隻が必要との見解を示している。無論、そんなことは学術研究的な空理空論でしかない。
「おお、ハイドリヒ。君か」
 やがてヒトラー一行が、ハイドリヒの予測したとおり姿を見せた。ハイドリヒは車を降り、長靴の踵を合わせて敬礼した。鋲を打つような小気味よい響き。「ハイルヒトラー」。
「親衛隊上級大将ラインハルト・ハイドリヒ。我々の法律にして同志、総統閣下のお身近に」
「来てくれて何よりだ。どうかね、君の目から見て。この『グラーフ・ツェッペリン』は」
「素晴らしい艦であります」
 ハイドリヒは腕組みをして、さも感心したようにヒトラーに答えた。
「アーリア人種的血統と反ボルシェヴィキ主義の独逸的リアリズムであります」
「まさしくその通り」
「我が祖国がかくも強大な艦船を再び保有出来たのも、すべて総統閣下のご英断によるものです」
「海軍もよく頑張ってくれた」
「いいえ、海軍などは総統のお言葉に従っただけのことです。しかも、日本人の力まで借りて……。如何でしょう、総統閣下。この際大洋艦隊の乗組員を全部、日本人にしてみては」
「野郎!」
 そのときレーダー元帥が顔を真っ赤にして、元帥杖でハイドリヒの横面をぶん殴った。
「殺してやるぞ金髪の小僧!」
「てめえ」
 ハイドリヒは即座に殴り返した。レーダー提督は何メートルも向こうへぶっ飛ばされた。
「お迎えの近いジジイが!」
「るせえ、ロリコン!」
「オカマ!」
「やめろやめんか!」
 直ちにヒトラーが割って入り、二人を取り成した。やはり、仇敵同士とも言えるこの二人を同席させるのは、まだ早すぎたのだ。ヒトラーは後悔した。彼としては、自分の政治的後継者として期待をかけるハイドリヒを、海軍と和解させる目論見があったのだが……。
「あてが外れた。まるで犬と猿だ」
「総統。それは違うぞ」
 ヒトラーがこっそり呟いたものを、メフィストが耳聡く聞き付け、短く言った。
「犬猿の仲というのは人間が言っているだけで、実際には犬と猿は他の動物以上に特別仲が悪いというわけではないんだ」
「そうか。いや、そんなことはどうでもいいんだが」
「その語源については諸説があるが、古代中国の十二支の寓話の中では、犬と猿が川を渡ろうとして、どちらが先に橋を渡るかで揉め、そのまま揉め続けたというものがある。或いはそのような故事が基になって広められたのかもしれん」
「うるさいな、もう! お前は一体、犬が何だって言うんだ!? 猿が何だって言うんだ」
 ヒトラーはついに一喝し、メフィストを黙らせた。
「海軍の猿真似!」
「親衛隊の犬畜生」
「お前らも黙れ!」
 親衛隊と海軍の不仲は、当分終わりそうもなかった。


 その後、ハイドリヒを加えた一行は、「ツェッペリン」艦内に案内された。細い通路が入り組み、その低い天井に沿って換気ダクトや配線が走る。壁には電球の入ったカンテラや、配電盤がかけられていた。
「意外と、中は狭いもんだな」
 ヒトラーはせわしなく首を回しながら言った。彼はすこし、閉所恐怖症の質がある。それを紛らわすため、ヒトラーは盛んにレーダー提督に話しかけている。
「航空機格納庫がありますからね。あとでそちらもご案内いたします」
「そうか。ところでこの部屋は? 随分扉が厳重だが」
「そこは砲郭です」
「なんだ?」
「つまり、本艦の主砲である十五センチ砲を収めてあります。全艦に合計十六門」
 それを聞いて、ハイドリヒが大声で言った。
「ふん、それは何とまぬけなやつだ!」
「静かにしろ、ハイドリヒ」
 思わず肩を動かしたレーダー提督の機先を制し、ヒトラーは自らハイドリヒを窘めた。
「余計な口を挟むな」
 彼は両者の諍いが再燃するのは避けたかったし、自分が推進した空母を馬鹿にされたので、ちょっと頭に来たのだった。ハイドリヒは面白くなかった。それでハイドリヒは、彼と同じ親衛隊の制服を着ているメフィストに目を向けた。
「おい、きさま」
「うん?」
「さっきから気になっていたが、きさまはどっちの味方なんだ」
「味方とは」
 メフィストは分からない。ハイドリヒは息巻いた。
「とぼけるな。きさま海軍の犬か」
「ケルベロスは犬畜生だが、人間にはやさしい」
「ほう博識だな」
「長生きすれば雑学も増える」
「だまれ! きさまの名前を言ってみろ!」
「私はメフィストフェレスだ」
「なんだって?」
「私はメフィストフェレス」
「何度も言うな!」
「あんたはどうしろと云うんだよ?」
「だからそれは、いったいなんだ。メフィストフェレス。コードネームか? いや待てよ」
 ハイドリヒは首を傾げ、頭を指で何度も突付きながら、思い出す表情をした。メフィストは素直に待っている。ヒトラーとレーダー提督は、二人に気付かず、そのまま行ってしまった。メフィストフェレス。どこかで聞いたような記憶がある。
「総統官邸の昼食会に出たか?」
「そりゃ、何度も出たが。いつの昼食会だ」
「六、七年前か……そうだ、あのときの」
「あんた頭大丈夫か?」
「だまれ! 思い出したぞ。ゲーリングが自殺したときだ」
「そんな男は知らん」
「総統就任祝いの昼食会だ。愚図のヒムラーがおれのところへ電話をかけて来て、うるさいから調べてやったんだ。メフィストフェレス……などという名の隊員も、作戦名も、親衛隊にはなかったぞ」
 ハイドリヒはホルスターからワルサーP38を抜き、銃口をメフィストに向けた。その動作は総統官邸で観た西部劇のガンマンより遥かに速かった。彼は叫んだ。「両手を壁に付け!」。
「きさまは何者だ。ボルシェヴィキのスパイか。イギリスか。何故親衛隊の制服を着ている」
「落ち着けよ。そんなにいっぺんには答えられない」
 メフィストは悠然と立ったままで言った。
「命令するな!」
 ハイドリヒは耳を貸さない。彼は当惑していた。情報自体は七年も前にもたらされていたものを、何故今まで放置していたのか? まったく正体の知れない男が、総統のごく傍に何年も居たというのはおおごとだ。それを何故、今の今まですっかり忘れてしまっていたのだろう。
「早くしろ」
 ハイドリヒは銃口を上下させて、手を挙げるよう促す。
「早くしないか!」
「ハイドリヒ」
 メフィストは、そのアイスブルーの目を細め、静かに彼に言った。
「三十七歳の若き親衛隊上級大将。死刑執行人、ラインハルト・ハイドリヒ。つまりあんた」
「それがどうした」
「あんたに警告する。私にそんな脅しは効かない」
「おれの射撃の腕を知らんようだな」
「そうではないが、あんたのやろうとすることは意味がない。直ちにこの場を辞して、あんたは家に帰るべきだ。そして朝まで眠れ」
「そんなことが言える立場か。おれは、ベルリンへ帰るとしたら、きさまを連行するときだ。スパイは銃殺だ」
「わからんやつだなぁ」
「なんだって?」
「だから、言ってるだろ。私を殺そうとすることは意味がない。無駄なことだ。あんたたちが持つ死の概念は、我々が付加したものだから、我々はそれを持たない。私も死を持たない。そういう機能はない」
 ハイドリヒは、メフィストのその説明を受けて、ようやく納得した。こいつは病気で、頭が変になっているのだ。
「ようし……。ならおれがその病巣をぶっ飛ばしてやる!」
 ハイドリヒはそう叫んで、引き金を絞った。その瞬間、ハイドリヒは消えた。彼の身体は宇宙から消滅し、その存在はなくなった。
 彼はいなくなった。
「馬鹿な男だ」
 メフィストは短く呟き、踵を返してゆっくりと歩きだした。靴底が床を打つ。その音が十回響いたときには、彼はハイドリヒのことを忘れていた。国家保安本部長官の職は、翌日からは別の男が務めるだろう。




 >次章「The Longest Day」


コメント

共産主義者はあの世で夢を見るか?
トハチェフスキー「ハイドリッヒ殺すなら、大粛清前に殺ってくれたら儂、生き残れたかもしれないのに………」
エルンスト・レーム「長いナイフの夜にも一枚噛んでるから、俺も生き残れたかもしれないのに………」

スターリン&ヒムラー「「あ、それはない。だってハイドリヒがいなくても別の難癖つけて殺してたから」」

トハチェフスキー「こみゅーん(´・ω・`)」
レーム「ほもーん(´・ω・`)」
2008/02/07 07:15URL  山本 瑞鶴 #ZB43l.tY[ 編集]

総統と不快な仲間たち
ヒトラー
「レームはホモだしゲーリングはヤク中、ヒムラーはオカルトでハイドリヒはロリコン……。俺の周りはこんなんばっかりか!」

デーニッツ
「あんたもな」(最後の最後で押し付けやがってこの野郎)
2008/02/07 14:47URL  早池峰山(廠長) #w1X/gZh6[ 編集]


そもそも総統の女性遍歴(ゲリ→エヴァ)をみていると、総統も相当ロリコンなような………(コンコン)

おや、こんな夜中に誰だろう?(げぇ、ゲシュタポ!)
2008/02/07 20:19URL  山本 瑞鶴 #ZB43l.tY[ 編集]

総統は
結婚したら負けかなと思ってる。(無条件降伏的な意味で)
2008/02/08 13:20URL  早池峰山(廠長) #w1X/gZh6[ 編集]


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*ようこそ、トラブルシューター。*

Computer:
 このコメントフォームに「/」を重ねて書くことは反逆です。
 URL欄にアドレスを入れる者は、恐らく反逆者以外にはいません。

 市民の幸福は、コメントを書き、Computer に奉仕することです。
 あなたはComputer の仕事に感謝して、喜んでコメントを書きますね?
 そうしないことは反逆です! 直ちに処刑の対象になります!!
 
















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