革命国家が勝利に向かって前進する玉川上水のブログ

駿河南海軍工廠の後継。近現代史小説を中心に掲載。

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 <前章「死刑執行人もまた死す」

 大洋艦隊海軍基地・ヴィルヘルムスハーフェン
 "D"-1 23:55


 岸壁から眺めやる海は嵐だった。風は轟々と空を流れ、海鳴りが大気を揺さぶる。キューベルワーゲンのヘッドライトに照らされて、腕時計は午前零時ちょっと前を指していた。ワーゲンに積んだトランジスタラジオが、吹き荒ぶ潮風の中で、静かに呼びかけている。
『こちらはベルリン。一九四五年六月五日、午後十一時五十五分であります。ここで天気予報をお送りします。西の風晴れ。または雪。落雷。あかつき……。ありがとう』
 防波堤に波が弾け、霧雨が舞った。レインコートの裾がうるさくはためいている。独逸国防軍元帥エルヴィン・ロンメル将軍は、指揮車の傍に立ち、首にかけた双眼鏡で港内を見下ろした。雨外套を纏い、小銃をかけた兵士たちが、鉄かぶとを雨に濡らしながら、せわしなく走り回り、敬礼に答礼を返し、また隊伍を組んで埠頭を静々と進んでいく。街灯りは消され、港のかすかな照明のほかは、まったくの暗黒であった。
 兵士を乗せた舟艇が桟橋を離れ、雨を突いて闇の中へ走り去る。そのとき港で指揮を執っていた幕僚のフォン・メレンティン大佐が岸壁に現れ、外套を翻してロンメルに駆け寄った。彼は背筋を伸ばし敬礼。「報告」。
「各隊の舟艇搭載は、本二三五〇、予定通りに完了。終り」
「了解。ご苦労大佐。セルフサービスだが珈琲は好きなだけ飲んでいいぞ」
「眠くありません閣下」
「それは結構。だが、この先我々に休み時間はないぞ。もう日付が変わる」
「一九四五年、六月六日」
 メレンティンは外套の袖をすこし捲くって、腕時計に目を落とした。荒海を前にして聞こえるはずもないのに、秒針が時を刻むその音を、彼の胸はなまなましく感じ取るようだった。
「長い日になるな」
 ロンメルは目線を海に向けたまま、こそりとメレンティンに言った。
「この二十四時間は、敵にも味方にも、死命を制する決定的なものになるだろう。我々のすべての勝敗は、ただ一日にかかっている」
「ええ、本当に」
 メレンティンは小さく頷く。そのとき、日が改まった。ベルリンのラジオは所定の音楽レコードを電波に乗せ、全将兵に決行を告げる。ロンメルは六月の雨に打たれながら、轟然と響く海鳴りに向かって叫んだ。
「史上最大の一日だ」
 独逸帝国の、そして世界の、運命の日が訪れた。


The Longest Day
-史上最大の作戦-







 総統大本営・帝都ベルリン
 "D" 00:03


 ラウドスピーカーがブザーを鳴らし、作戦発動を宣した。ヒトラーは国防軍最高司令部を総統官邸の地下に置き、ヘルムート・ヴァイトリング上級大将をその作戦部長に任じている。
「将軍。特殊作戦発動だ」
 ヒトラーは作戦地図の前で、ヴァイトリングに向かって言った。
 地図は北海とその大陸沿岸、それに大ブリテン島全域を記したもので、部隊マーカーの小旗が各所に立てられてある。
「我々が黙って見ている間に、いまや彼の国は完全に共産主義の走狗と化した。このまま事態を看過すれば、我々はいずれ共産主義諸国の包囲網の中に孤立するだろう。そのようなことはとても容認出来るものではない」
「はい総統閣下」
 ヴァイトリングは表情を変えぬまま、短く答えた。
「先に私が示した通りにすれば、この戦いは必ず勝てる。頼むぞ将軍」
「がんばりましょう」
 ヴァイトリングは頷き、地図に向き直った。そして総統に気付かれぬよう、小さく息を吐いた。簡単な作戦ではない。なにしろあの世界に冠たる大海軍を誇る大英帝国の本土に奇襲をかけ、大軍を送り込むと云うのだから……。
 事の起こりは、この年の正月にまで遡る。
 ヒトラーは一九四五年の年が明けると、俄かに英仏とその影響国に対し、強硬な態度を取り始めた。
 独逸はイギリスの保護下にあるポーランドに圧力をかけ、帝国本国と東プロイセンを結ぶいわゆるポーランド回廊を、独逸へ返還するよう求めたのである。このヒトラーの要求は、「独逸はこれ以上の領土を要求しない」とした七年前のミュンヘンでの合意を反故にするものであった。
「汚いファシストの豚め!」
 当然、英仏、特にヨーロッパ諸国の中心的存在であるイギリスは憤慨した。
 もしもこの独逸の横暴を容認し、チェコスロヴァキアに続いて再び同盟国を見捨てるようなことになれば、イギリスの安全保障を信じる国はなくなり、そのリーダーシップは完全に失われることになるだろう。
 事ここに至り、イギリス首相クレメント・アトリーは、ポーランドへの直接攻撃も辞さない構えのヒトラーに対し、とうとう
「大英連邦は、世界の如何なる国家の攻撃からも、我々の同盟国を守る!」
 ポーランド問題に対するイギリスの態度を、はっきりと打ち出したものであった。
 むろんヒトラーにとり、これはいつか来た道である。
「では戦争だ!」
 こうしてヒトラーは、所定の対英戦争計画を発動し、両国は今まさに戦争に突入しようとしているのだった。
 当然宣戦布告の手続きはなく、爆弾がそれに代わる手はずになっている。
「ほんとに始めるのか?」
 忙しく働き回る司令部参謀たちを尻目に、メフィストフェレスが呆れ顔で訊いた。
「やめるなら今だぜ」
 そうすると、ヒトラーはちょっと恐い顔をして
「これは、共産主義者に対する聖戦だ」
 横目でメフィストを見、彼に言った。
「我が大独逸が共産主義に飲み込まれる時、世界もまたアカの手に沈む。そうなれば人類に未来はない」
「あんたは、そんなに戦争が好きなのか」
「どのみち避けられん戦いだ。手をこまねいておればやがては全欧州が赤化し、そして我が国は袋叩きにされるだろう。やるなら今だ。それに、天も我々に味方している」
 ヒトラーはそう言って、壁に張り出された気象図を示した。
 北海の天候は、移動する上陸艦隊を隠すように荒天に閉ざされ、味方の隠密行動を助けている。
「これはまさに天佑神助だ」
「まぁね」
 蛇足ではあるが、メフィストフェレスは、気象を操る術にも長けた悪魔である。
 ヒトラーは机に両手を突き、地図上の幹線道路が集中する一点、即ち、イギリス首都ロンドンの文字を見つめた。
 前回の戦争で、鉤十字の旗を立てることが出来なかった土地である。
 しかし、
「今度は違うぞ!」
 である。
 動き出したアシカ作戦の巨大な歯車は、たとえヒトラーと言えども、もはや止めることは叶わない。
 大神オーディンも照覧あれ!
 ヒトラーは固唾を飲んで、地図上の部隊標識を見つめていた。



 マルドン電波監視哨・イングランド東部
 "D" 03:52


 夜明けにはまだ時がある。星ひとつとてなく、辺りは暗かった。かといって真っ暗闇というわけでもなく、巷にはコバルト色の霧が濃くたちこめている。そんな霧の中を、イギリス空軍のレーダー監視員、ヴィクター伍長は、部下のニッパー二等兵に車を運転させ、持ち場までやって来た。腕時計を見ると、命じられた午前四時よりすこし早かった。
 ニッパー二等兵は、自称「レーダーサイト」の掘っ立て小屋に車を止め、その横に屹立するレーダーアンテナを見上げた。天高く組み上げられた鉄塔の先は、霧のために見えない。
「伍長どの」
 二等兵はヴィクター伍長の身体を軽く揺さぶった。ヴィクターは帽子を目元まで深く被って、浅い眠りに落ちていた。彼は目を覚まし、帽子のつばを持ち上げる。
「もう着いちまったのか」
 ヴィクターは目を擦り、深く息を吸い込みながら、鬱陶しげに伸びをして、身体を起こした。
「何時だ。いま」
「〇三五五であります」
 強いスコットランド訛りがヴィクターに答えた。
「ついてないな」
「いえ到着です」
「ちがう……。こんな朝っぱらから駆り出されて俺は運が悪い、って言ったんだ」
「しかしこんな天気ですからね」
 二等兵は、転落防止用の金網の向こう、つまり海の方角を見た。海上の霧は陸地より更に濃く、水平線どころか、ざわめく波頭さえ見えない。
「レーダーがなきゃ無用心ですよ」
「一丁前の口を利きやがる」
 伍長は車から降り、濃霧のカーテンが低く垂れ込める北海を見回した。
「新兵、頭を使え。海も空もご覧の通り。何マイル先も見えるもんじゃない。六月のこんな霧の日に、攻めて来るやつがどこにあるもんか」
「しかし、小隊長どののお話では、ヒトラーの攻撃が」
「ばか言うな。ナチスのジャガイモ野郎の隣には、フランスのカエル食いがあるんだぜ。戦争になりゃ、カエル野郎はこっちに味方する。連中は確かに間抜けだが、マジノ線も海まで延ばされたんだ。うちの陸軍も加勢する。そう簡単にくたばるはずはねえぞ」
「それでは戦争は?」
「そう、戦争は大陸でのことよ。だからこんなところで見張ってる俺たちは、救いがたい阿呆ってことになる。分かったか新兵」
「はあ」
「よし。分かったら俺に茶を淹れろ。俺は、寒くてかなわんよ」
 ヴィクターがそう命じると、ニッパー二等兵は小首を曲げて、彼に訊き返して来た。
「なんで、自分が伍長どののお茶を淹れなきゃいけないんでありますか」
「なんだ?」
 ヴィクターは顔をしかめる。
「自分は、伍長どののメイドさんじゃありません」
「この野郎」
 ヴィクターは、つい声が大きくなった。こんな青二才の新兵風情に舐められてたまるか。
「新兵が上官の世話をするのは当然のことだ」
「そりゃ、そうですが」
 ニッパー二等兵は唇をへの字にして、ちょっと当惑気味に答えた。
「確かに自分は二等兵ですけど、伍長どのも、たかが伍長じゃないですか」
「な、何?」
「自分が教練で習ったのは、鉄砲の撃ち方と、レーダーの操作だけであります」
「畜生!」
 ヴィクター伍長は叫んだ。
「それなら、さっさと機械を動かせ! バカモン」
「そうします」
 ニッパー二等兵は平素の表情のまま、ヴィクターに素早く敬礼をして、掘っ立て小屋の中に入っていった。
「まったくどうなってんだ」
 ヴィクターは煙草に火をつけながら、海に向かって悪態をついた。最近は軍隊でも人権がどうのと言って、若い兵隊は「上官の命令」というだけでは動かなくなってきている。
 彼が新兵だった頃には、まったく考えられなかった話だ! ヴィクター伍長が二等兵だった時、彼は上官たちの召使どころではなかった。どんなに不条理なことでも、何でもやらされた。文句を言えば殴られるのは当然で、まして命令に反抗などすれば、営巣に送られ、罪人扱いを受けたものだ。
 苦労してそれに耐え、なんとか部下を持ったと思ったら、今度はどうだ?「自分は伍長どののメイドさんじゃありません」。俺は、なんという男だろう。
 ヴィクターはしのばせておいたポケットウィスキーの瓶を取り出し、それを呷った。しかし中身は一滴もなかった。ここへ来る間に飲み干してしまっていたのだった。
 ヴィクターは海に向かって、小瓶を投げつける。
「くたばれ馬鹿野郎!」
 そしてそのとき……。
 基地は爆発した。
 それ以外に言葉はない。
 基地は突然、跡形もなく吹き飛んでしまったものである。
「目標の電波、消失しました」
 その遥か二十キロ先の洋上に、独戦艦「ビスマルク」が浮いていた。
 言うまでもなく、かの基地を葬り去った元凶である。
「すげえ。一発か」
 その艦橋には、第二戦隊司令官のエルンスト・リンデマン中将が陣取っている。彼はこの「ビスマルク」の初代艦長だった人物でもあり、育ての親とも言える男だ。
「間違いなく破壊したか?」
「敵レーダーサイトから発する、すべての電波が途絶えました。『ヒンデンブルク』でも確認したとのこと」
「そうか……。宜しい」
 それを聞いてリンデマンは、霧のたちこめる空を艦橋の窓から覗き見た。「ヒンデンブルク」は旅客用飛行船を改造した大型の空中電子戦母艦で、たったいまの砲撃も両者の方向探知機の反応を照合して行ったものである。
「みんなよくやってくれた。艦長、本隊に合流するぞ。速度を上げるんだ」
「了解です」
 戦艦「ビスマルク」は、まだ熱い連装主砲をゆっくり正規の方向へ戻しながら、舳先を巡らし、徐々に船足を上げて、北海の霧の中に溶け込んでいった。
「しっかりしろ、馬鹿たれ」
 その頃、瓦礫と化したマルドンのレーダー基地では、ヴィクター伍長が、崩れた掘っ立て小屋からニッパー二等兵を引きずり出している。
「何事が起きたんですか、伍長どの」
 残骸から這い出したニッパーは、頭から血を流しながらヴィクターに訊いた。
「そんなの、俺に訊いたって分かるもんか」
 伍長はぶっきらぼうに答えながら、内心ではほっとしていた。どうやら見た目ほど酷い怪我ではないらしい。彼は二等兵にタオルを投げてやる。ニッパーはそれで傷口を押さえた。
「雷のような音を聞きました」
「俺は、隕石みたいなものを見た」
「なんだったんでしょう、一体……」
「知るか。兎に角、司令部に連絡だ」
「どうやって?」
 ニッパーは足元に転がっている電話機を蹴飛ばして言った。電話は梁に潰されて、ペシャンコになっている。彼は車に気付いて乗り込み、セルモーターを回す。かからない。
「走れ!」
 ヴィクター伍長は二等兵の腕を肩に回して、走り出した。
「街まで何マイルもあります」
「いいから走るんだ」



 ダックスフォード空軍基地
 "D" 04:05


 同じ頃、イングランドの主要な飛行場のひとつ、ダックスフォード空軍基地は、まだ半分眠っていた。
 しかし明かりの点いている建物もわずかながらあり、基地は五時の総員起床を前に準備中、というところだ。
 烹炊所の電気も早くから点いている。
「食事の下ごしらえでもしているのだろう」
 誰もがそう思ったが、しかし実際はそうではなかった。
「真っ赤なお鼻のトナカイさんは」
 コックの助手で元お菓子職人のブルボン二等兵が、基地の調理場を勝手に借りて、ケーキを作っているのだった。
 むろん、重曹やベーキングパウダーなどの材料も、すべて基地のものである。
 さすがに神をも恐れぬ行為と言えるだろう。
「こんなことして、いいのかなぁ」
 鼻歌混じりで生クリームを盛っていくブルボンを横目に見ながら、同年兵で見張り役のアンデルセン二等兵が首を傾げた。
「いいんだよ!」
 ブルボン二等兵は、まんまるの顔の上にのった小さな目を三角にして、アンデルセンに言った。彼は、腕のいいお菓子職人で通っている自分に、キュウリの塩漬けを作らす班長のことがゆるせなかった。
「あのボケナス!」
 そこでブルボン二等兵は、得意のデコレーションケーキで、基地の高官たちに自らを売り込む作戦に出たのである。
「けど、まだクリスマスまでにはだいぶあるみたいだぞ」
 アンデルセンは厨房の壁に張られたカレンダーをブルボンに示し、言った。
「今日は、六月六日だ。なんと言って渡すんだ?」
「何。そうか。そうだな……」
 確かに、何も口実がないのは不自然なようだった。周到に準備をし、実行に移したこの計画だったが、肝心なところが抜けていた。ブルボン二等兵は考えた。
「今日はなんの日だろう。何かあるだろ。それに書いてないのか」
 アンデルセンは壁掛けカレンダーに近寄り、日付の下の小さなテクストに目を凝らした。
「ロンドンでキリスト教青年会設立」
「キリスト教青年会? なんだ」
「YMCAだ。一八四四年六月六日設立」
「ふうん。……ほかには?」
「目ぼしいものはないな」
「記念日作戦はだめか」
「いや簡単なことだろ。会員だったことにすればいい」
「YMCAの? 俺がか」
「好感を持たれるかも」
「よしいいぞ。その手で行くか」
 ブルボン二等兵は生チョコレートのチューブを上機嫌で取り、「おめでとうYMCA」と鮮やかに文字を引いた。


 ――機は先刻、北海沿岸の浜辺を眼下に見た。いまはイングランドのほの暗い田園や道路が、すぐ足元に迫って見える。低く唸る両翼六基のレシプロエンジン。プロペラは立ち込める霧を払い、木々の梢を掻き分けて、巨大輸送機Me323のばかでかい図体を、だましだまし引き摺るように飛んでいる。そんなのが三機、間隔を開けて一直線に連なっていた。
「五分前」
 操縦席の航法士が、機内電話のマイクに声を吹き込む。Me323ギガントは百人程度の武装兵を一度に空輸する能力があり、暗い貨物室の中は、仰々しく武装した兵士たちがいっぱいに詰め込まれていた。装備を確認する者、黙って時を待つ者、しきりに水筒を傾ける者。兵士たちの動きはそれぞれである。
「大佐どの」
 機長は、操縦席の一角に陣取るオットー・スコルツェニー大佐に振り向いて、彼に言った。操縦席では方向を間違えないよう、BBC放送を傍受している。エンジンの爆音に混じって、音楽がかすかに流れていた。
「そろそろ準備してください」
「よし。ちょっとマイクを借りるぞ」
 スコルツェニーは返事を待たず、隣席の航法士からマイクを奪った。航法士が何か言う前に、スコルツェニーはスイッチを入れる。
「私だ。みんな聞け。所定の作戦に変更はない。敵兵を射殺してしまっても気にするな。鉄かぶとを着けろ。終り」
 スコルツェニーはマイクを航法士に返し、トレードマークの山岳帽を被って立ち上がった。
「機長。着陸したら出来るだけ援護してくれ」
「了解しています。存分のお働きを」
「あぁ、行って来る」
 スコルツェニーは言うとともに機長の脇へ素早く腕を伸ばし、スイッチを跳ね上げてラジオの出力をスピーカーに回した。兵士たちは次々と顔を上げる。静かに始まった「ワルキューレの騎行」の旋律が徐々に高まると、同時に霧が晴れ、視界が開けてきた。舵輪を握る副操の声。
「十時方向灯火あり、目標を肉眼で確認!」


「なるほど、これは見事なものだ」
 エルマー中佐の感嘆の声を聞いて、彼は作戦の成功を確信した。小さなグラデーションケーキにこめたブルボン二等兵の勇気と知恵が、ついに報われようとしている。一方アンデルセンは、戸棚の上のラジオから流れるワーグナーに耳を傾けていた。
「材料も満足ではなかったはずだ。どうやって集めたのかね」
「は。酒保の嗜好品を何ヶ月もがまんして……」
 むろん嘘だが、エルマー中佐はそれ以上詮索しなかった。それよりもエルマーの目は、ケーキに塗られた輝くような生クリームに向けられている。軍隊生活においては、糖分ほど不足するものはない。浮世では何の変哲もないお菓子が、勲章よりも何よりも、遥かに魅力的なものとして映るのが軍隊という職場である。
 二等兵のアンデルセンは勿論のこと、飛行隊参謀のエルマー中佐といえども、その魅力に無関心ではない。当人のブルボン二等兵でさえ、これをタダでくれてやるというのは、かなり口惜しい気分でいる。
「で、君はこれを?」
 エルマー中佐は努めて平静を装いつつ、ブルボンに横目で訊いた。ブルボンは大きく頷く。
「司令部の皆様でお召し上がり頂ければ幸いであります」
「そうか!」
 中佐はブルボンの肩を叩いて叫んだ。
「ありがたく頂こう」
「は、それではこれを」
 ブルボン二等兵はそう言って、エルマーにナイフを手渡した。ケーキを切り分けるのは職人ではなく、客の仕事だ。エルマーはケーキを見て少し考え、それからおもむろに切り込みを入れた。
「おい、いいのかな」
 そのときブルボンの耳元で、アンデルセンがそっと囁いた。ブルボンは「何がだよ」とちょっと疎ましげな調子で訊き返す。作戦は成功した。見張り役はもう不要である。ブルボンはそろそろ、アンデルセンにはどっかへ行って貰いたかった。
「何ってお前」
 アンデルセンは情けない顔をして、ゆっくりと切り分けられていくそれを垣間見る。
「その、真ん中に描いてあるやつは」
 そのときだった。何か真っ黒い巨大な物体が、轟然たる爆音とともに、烹炊所の小窓の中を、端から端へ横切っていった。長大な基地の滑走路の上を、物凄いスピードで突っ走って行った。二回、三回と立て続けに。
「なにごとだ!」
 窓と向かい合っていたブルボン二等兵だけが、それを見た。ブルボンは怪訝な目を向ける二人を押しのけて窓に取り付き、錠を外して開け広げた。見知らぬ形状の巨人機が三機、プロペラを回したまま、尾部をこちらに向け、夜明け前の薄闇の中にうずくまっている。その姿は、ゴリアテの腕を生やした芋虫のばけもののようだった。
「なんだあれは」
 事態に気付いたエルマー中佐が、ブルボンの横に立って言った。しかし飛行隊参謀に分からないことが、基地のコックの助手に分かるはずはない。
「おいコラ! そんなところに止めちゃいかん」
 成り行きを見守っていると、間もなく小屋に詰めていた警備隊の連中が出て来て、大声で叫んだ。
「貴様たちどこの部隊だ」
 するとそのとき、観音開きに開いた巨人機の機首から、灰色のキューベルワーゲンが飛び出した。両足を踏ん張り、その車上に立つ者は、誰あろうオットー・スコルツェニー自身である。
「スコルツェニー部隊だよ!」
 スコルツェニーはStG44突撃銃の安全装置を外し、殆ど丸腰の警備兵たちに向け、銃を乱射した。それに呼応して、Me323の十門の各機銃座も次々と撃ち始める。無防備な警備兵はたちまち追い散らされ、彼らは滑走路を逃げ惑った。
 スコルツェニーのキューベルワーゲンは、その広い滑走路を全速力で駆け抜け、銃声に驚いて出てきたイギリス兵や、基地の建物を標的に、突撃銃を撃ちまくりながら、薄闇を突いて突っ走っていった。
「停止!」
 スコルツェニーは運転手の肩を叩き、シートに腰を降ろす。運転手は車を急旋回させ、ブレーキを踏んだ。
「やれっ!」
 スコルツェニーの短い命令が飛ぶ。
「はい!」
 応えたのは、後席で待機していた若い兵士だった。彼は車に搭載していた対戦車ロケットランチャー、パンツァーシュレックを構えて狙いをつけた。それが放たれると、轟音とともに目を焼くような発射光が湧き上がり、砲口から勢いよくロケットが飛び出した。
 ロケットは残り火の尾を細く曳きながら暫く飛び、やがて基地の管制塔を刺し貫いた。塔は柱をへし折られ、黒煙をたなびかせながら、鋭い金属音とともに傾いていく。
「ブラボー!」
「命中した!」
「はは、ははははは」
 塔は横倒しになり、まわりの建物も巻き込んで崩壊した。三機のMe323は、更に続々と兵士や車両を吐き出しつつある。
「あっ、あっ、管制塔がぶっ飛んじまったぞ」
「おい、馬鹿野郎。俺にも見せてくれよ」
「なんていうことだ、なんていうことだ」
 エルマー中佐は青い顔をして、部屋から飛び出していってしまった。入れ替わりにアンデルセンが窓辺に立つ。押っ取り刀で邀撃に出たイギリス兵を、独逸軍の装甲車が20ミリ機関砲で蹴散らしていた。
「おお、本当の戦争だ」
「お前、ここに居ていいのかよ」
「何が?」
「こんなところで見ていて……」
「お前だって同じじゃないか」
「俺はコックだからいいんだよ」
「俺も烹炊所の見張りだ」
 二人は結局、烹炊所から外へ出ることはなかった。様々な銃声が絶え間なく飛び交う中、彼らはそこでじっと息を潜めていた。
 三十分ほど経っただろうか。
「おい。おい」
 ブルボンがアンデルセンの肩を揺さぶった。
「なんだよ」
「どっちが、勝ってるんだろうかなぁ」
「そんなの、俺が知るか」
「お前、ちょっと見て来いよ」
「馬鹿言うな。殺されちゃうよ」
「いいからほら」
 ブルボンはアンデルセンの背中を強く押し、アンデルセンをよろめかせた。
 そのとき、部屋の外からドア越しに機関銃が打ち込まれた。壁に穴が開き、窓ガラスがいっぺんに割れ落ちる。
「わぁっ」
 ブルボンは生クリームの入ったボウルを頭から被り、素早く物陰に隠れた。アンデルセンはどうしていいか分からず、その場で右往左往している。独逸兵はすぐにドアを蹴破り、麻薬Gメンのように烹炊所に踏み込んで来た。
「手を挙げろトミー!」
「撃つな!」
 完全武装した独逸兵に銃口を突きつけられ、アンデルセンは電撃的に諸手を挙げた。独逸兵は突撃銃をアンデルセンに向けたまま室内を見回し、後からやって来た戦友と顔を見合わせる。
「なんだここは。無線室じゃないぞ」
「厨房だ」
「部屋を間違えた」
「おい貴様、ちょっとこっちへ来い」
 独逸兵は突っ立っているアンデルセンを身振りで呼び寄せ、粘っこい早口の独逸語で、彼を尋問した。しかしアンデルセンは独逸語が分からない。
「無線室はどこにある? トミー」
「なんだって? 俺はトミーじゃない」
「無線室だ。場所を言え、場所を」
「何を言っているか分からない。文明国の言葉を使え、畜生め」
「言わなければ殺す!」
 独逸兵はアンデルセンの腹に銃口を押し当てて凄んだ。アンデルセンは再び諸手を挙げて、
「は、ハイルヒトラー! バンザイナチス」
「だめだ。気が狂ってるぞ」
「そうらしいな……。どうする?」
「おい、きさまたち何をしてる」
 そのとき独逸兵たちの背後から、またもう一人新しい人影が現れた。ブルボンもアンデルセン同様、彼らの言葉は分からないが、それでも服装から、その人物が士官らしいことだけは分かった。
「あっ、大佐どの」
「こんなところで遊んでいたのか。海外旅行と違うんだぞ」
 スコルツェニーは敬礼する二人をそのままにして、室内を見回した。そして壁の前で所在なげにしているアンデルセンに目を留めた。
「こいつは誰だ?」
「は、捕虜であります」
 一人が答えた。
「しかし、これがどうも錯乱状態でして、何を訊いても要領を得ません」
「尋問したのか」
「無線室の場所について」
「そんなもの、とっくに破壊したよ。きさまらがモタモタしている内に」
「は、はぁ」
 二人の独逸兵は顔を見合わせる。スコルツェニーはちょっと嘆息した。「まぁいい」。
「捕虜は滑走路に集めて監視する。連れて行け」
「は、連行します。では」
「歩け!」
 アンデルセンは腕を後ろに回されて、独逸兵とともに烹炊所から出て行った。
「まったく、敵の銃口の前でもあれくらい勇ましけりゃいいんだが」
 スコルツェニーは兵士の後姿を見送りながら、肩を竦めた。そうしてそのときふと、彼の目の端に、白いものが映った。
「なんだ?」
 テーブルの上に、ホールのデコレーションケーキが載っている。娼婦の白粉のようにまんべんなく塗られた生クリームには、チョコレートで文字が引かれ、それに、イギリス国旗をあしらった淡い飾りつけがあった。――そしてそのイギリス国旗ごと、ケーキは真ん中から真っ二つに切り分けられている。
 スコルツェニーは暫くそれを眺めていたが、やがて手袋を取り、人差し指で生クリームを拭って、それを舐めてみた。
 そのときである。
「くたばれ! 独逸野郎!」
 物陰で息を潜めていたブルボン二等兵が、ペティナイフを手に、スコルツェニーに飛び掛った。
 スコルツェニーは反射的に身体をひねらせてブルボンの体当たりをかわし、次の二突き目で、伸びてきたブルボンの手首を取った。そのスコルツェニーの握力は、ブルボンの想像するそれを遥かに超えて凄まじかった。ブルボンは痛みに顔をしかめる。
「離せ!」
 しかし彼がどんなにもがいても、掴まれた部分から先だけが、微塵も動かない。スコルツェニーはブルボンの腕を手刀打ちし、一撃でナイフを取り落とさせた。そして相手のみぞおちに拳打を二発ぶちこみ、さらに顔面を横殴りに殴った。ブルボンは壁に頭を打ちつける。
「動くな兵隊」
 スコルツェニーは拳銃の照準を、床に座り込んだ相手の額にポイントし、そのまま言った。
「きさまは何者だ。ずっとここに居たのか」
 短いが、綺麗な発音の英語だった。相手が独逸軍の制服を着ていなければ、ブルボンはそれと気付かなかったかもしれない。しかし、それには彼は答えなかった。スコルツェニーは質問を変えた。
「これは、お前が作ったのか?」
「何?」
 スコルツェニーはテーブルを顎で示す。床に座り込んでいるブルボンには見えないが、そこに何があるか、彼はよく知っている。
「お前のものだな?」
 スコルツェニーは重ねて訊いた。ブルボンは暫く様子を見ていたが、やがて、無言で頷いた。
「兵隊をやめて、菓子職人になれ」
 スコルツェニーは拳銃をホルスターに収め、彼を後に残したまま、烹炊所を立ち去った。
 そして廊下に出ると、彼は辺りを見回し、
「ああ、びっくりした……」
 胸に手を当てて、ゆっくり息を吐いたものである。
 ダックスフォード空軍基地の機能を独軍が掌握したのは、ちょうど夜の明ける頃だった。




コメント


リンデマン艦長の夢が叶って何よりですw
2008/02/25 17:16URL  ゴロンと #-[ 編集]


 水上艦隊勤務の提督の資料が少なくて困るw
2008/02/25 23:34URL  早池峰山 #Iu2BPJvY[ 編集]


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*ようこそ、トラブルシューター。*

Computer:
 このコメントフォームに「/」を重ねて書くことは反逆です。
 URL欄にアドレスを入れる者は、恐らく反逆者以外にはいません。

 市民の幸福は、コメントを書き、Computer に奉仕することです。
 あなたはComputer の仕事に感謝して、喜んでコメントを書きますね?
 そうしないことは反逆です! 直ちに処刑の対象になります!!
 
















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