革命国家が勝利に向かって前進する玉川上水のブログ

駿河南海軍工廠の後継。近現代史小説を中心に掲載。

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 文久三年、幕末。
 中世の封建制度の夢未だ覚めやらぬ日本は、鎖国か開国か、勤王か佐幕か、そして倒幕か公武合体か――なんだかんだで、揉めに揉めていた。
 その不穏な時勢に乗じて、政局の中心地・京都には、日本各地から続々と、あらゆる身分、格好の男たちがやって来た。

 そして彼もまた、その中に居た。
 彼がどこから来て、何者なのか、その素性を知る者はいない。
 彼は、例えば長州の桂小五郎、薩摩の西郷吉之助、また土佐の坂本龍馬らが持つ、政治的思想や、これからの日本に関する展望のようなものは、何ひとつ持たない。

 ただ、外国勢力の台頭と、それによる物価の急騰で、食い詰めた彼は、主家との縁を切り、脱藩し、都へ上って、それら三藩に代表される、どこか大藩の庇護を受けるよりほかに、生きる道はない……と、そのように信じ込んだものであった。
「このままでは、いずれ渇死するよりほかにないではないか」
 その焦燥と恐怖が、彼を京の都へと走らせた。


 




「そうか、お主も一旗組みか……。いや、これも時勢、時勢」
 近江国、琵琶湖畔の旅籠で、彼は一人の浪士と同宿になった。この男も国許を脱け、京に向かう途上だと言う。
「実は、拙者の成り合いもまた、貴公と同じでな。拙者尾州浪人、古河聞一郎と申す」
 彼も、自らの生国と姓名を相手に告げた。

 古河は小さく相槌を打ち、徳利の清酒を注ぎながら、彼に訊いた。「ところで貴公」。
「貴公、京でのたつきの道は、何か目途がおありか。どこかへご仕官の見込みでも」
 彼は目を少し横にそらし、「いや」と短く答えた。「しかし、いずれはどこかのご家中に」。
 古河は気さくそうに頷いてみせ、
「左様でござるか。お互い、うまくやりたいものですな」
 と言った。彼はこの男に好感を持った。


 当時、時代の流行は断然、尊王・攘夷であり、その急先鋒は防長三七万石の長州藩、毛利氏の家中である。
 二五〇年前、関ヶ原で徳川から受けた屈辱が忘れられない彼らは、幕府が存亡の危機にあるこんにち、公然と幕府を非難し、その擁護者を俗論党と呼んで糾弾している。そして長州による幕府攻撃の手段は、いまや合法・非合法を問わないところまで来ていた。
 そしてそのことが、彼にとっては有利に働いた。京都入りから暫くして、彼はその長州藩邸出入りの、「攘夷浪士」の一人になった。

 長州藩邸で飼われている攘夷浪士は、いわば鉄砲玉であり、長州藩は彼らを使って、幕府役人や、京都守護職を務める会津藩の要人を殺害させ、親幕府的な公家、商家を脅迫していた。
 彼は、自分のような攘夷浪士のあまりの多さに驚いた。そうして再び、あの焦燥と恐怖が、彼の心の中に渦巻くようになった。
「この盲群の上に頭角を現さねば」
 捨てられると思った。
 その不安は日毎に高まり、時に彼を鋭く圧迫した。発作的にこみ上げるそれが、彼には恐ろしくて堪らず、彼は時として必要以上に、長州のために必死になって働いた。

 それから三月ばかりが経った。
 彼は攘夷浪士という立場にもある程度慣れ、今では
「草莽(もう)の志士」
 という言葉を頻繁に用いるようになっていた。草莽は野を意味し、野に潜む志士であるから、草莽の志士という。長州の尊王攘夷運動の祖、吉田松陰が広めた言葉だ。

 吉田松陰――ひいては長州藩の革命思想では、
「全国の草莽の志士が『狂』へと走り、既存の体制を転覆するところから、革命は始まる」
 というものである。
「おれは、有象無象の食い詰め浪人どもとは違うのだ」
 彼はその草莽の志士として、自らのことを誇るようになっていった。

 ある日のこと……。
「些か、面妖なやつを抱え込み過ぎたかな」
 長州藩の「上役」(十石三人扶持の徒歩格に過ぎぬ軽輩者だが、彼ら浪士にとって上役には相違ない――)が、そのように話し合っているのを、彼は襖越しに耳にした。
「事を急いで人数に拘り過ぎたかも知れん」
 それで、彼は色を失ってしまった。自分は、ついに捨てられる、と思ったのだ。
 それまで自己を支えていた、草莽の志士の自負心が、にわかに、酷く脆いものに感ぜられだした。
 そしてその上役の言葉が、彼の心の中で増幅され、藩邸を追われたあとの自分、を彼に想像させた。そうなれば、
「野垂れ死ぬしかない」
 と彼は、狭窄した頭の中でそう思った。

 翌日。浪士たちの居室に、あの上役がやって来た。
 彼は、気絶しそうな位緊張しながら、その上役の言葉を待った。上役は、とある佐幕派要人の名をまず口にした。浪士たちの誰もが知っている、大物の名前だった。
「この者は、幕府の権威を笠に着て、政務を私し天子をないがしろにし、本朝を西欧列強に売り渡さんと企む大奸賊である。憂国の士、草莽の志士として、ご浪士らはこれをどのように思われるか」

「斬るゥッ」
「斬れ、斬れッ」
「生かして置けぬわ」

 浪士たちは奇声を挙げながら次々に立ち上がった。
 このとき、刀を掴んで立ち上がった者を、襲撃の志願者と見るのが暗黙の了解である。
 みな口々に激して立ち上がったものだが、実際の襲撃が不可能に近いのを見て取って、志願者は少ない。
 彼は、みなが立ち上がったあと最後まで、その上役の顔を睨むように見上げて、黙然と座っていた。
「貴君は、如何思われるのか?」
 上役は慇懃な態度で、彼を見下ろしつつ訊ねてきた。彼は、もう何も考えなかった。彼は刀を掴むと、それを杖代わりにゆっくりと立ち上がり、そして、
「やります」
 と頭を下げた。


 襲撃に加わる刺客は、彼を含めて五名だった。彼らは河原町の長州藩邸を辞し、藩邸から下賜された金子で料亭・和田屋に居を変えた。
「我々は天下の志士になるぞ」
 中に一人、やけに声の大きい土州脱藩浪士が居て、毎晩大酒を飲んでは、そんなことを喚き散らしていた。
「歴史に名が残る」
 と、土州浪士は彼にも絡んできた。
 ある晩、勤王運動の経験が長い歴戦の水戸浪士が見かねて、
「貴君は声が高い」
 と土州浪士に注意した。
「近頃は公儀も警戒している。特に守護職預かりの壬生浪士組、新撰組の詮索は」
「うるさいうるさい」
 しかしその土州浪士は、そう言って聞く耳を持たず、挙句には、
「わかったぞ。貴公、臆したな。そうであろう」
 などと言い出すので、水戸浪士のほうも、もう何も言わなくなった。

 ある日、その土州浪士が突然居なくなった。
 外出したきり帰って来ず、丸一日経っても戻らない。
「この計画はだめだな」
 水戸浪士はそう言いながら立ち上がり、襖に手をかけた。
「どこへ行くのです」
 肥後浪士の男がその背中に訊ねると、水戸者は
「拙者は手を引かせてもらう」
 と言った。
「この計画は、今頃は恐らく、あの土州人の口から幕吏に筒抜けであろう。お手前方も、早々にお引き上げなさるのが宜しい」

「まだ捕らわれたかどうかも分からんではないか」
「いや、あの者にほかに行く先はあるまい。となれば多分六角の獄舎――或いは、あの世だろう」
「我々同志のことを簡単に通謀するはずはない」
「それが素人の浅はかさよ」
「貴公、やはり臆したのではないのか?」
「そう思いたくば勝手にしろ」

 水戸浪士はそう言い捨てて、部屋を出て行った。

 三人の間には、動揺が残された。
「いったい、どうすれば良いのですか」
 十七、八の十津川郷士の少年が、肥後浪士と彼の二人の顔を、交互に見比べている。
「あの仁の言われるとおり、引き上げたほうがいいのではないですか」
「馬鹿言え。引き上げろと言っても」
 肥後浪士はすこし考えながら、小さく言った。「どこへ引き上げるのだ」。
「今更河原町の藩邸に戻って、出来なかったでは済まされん」
「切腹でしょうか」
「流石にそこまでは。しかし」
 肥後浪士は腕を組みながら、彼の顔をちらと見て、
「あの藩邸には、もう居られなくなるかもしれんな」
 と言った。

「何を言い出すんだ」
 そのとき、俄然、彼は激して二人に言った。
「事は、出来る出来ないの問題じゃない」
「貴公」
 肥後男は、それまで静かに座っていた彼の豹変振りを見て、些か動揺を見せた。彼は構うことなく、続けてまくしたてる。「貴君らは」。
「貴君らは命が惜しいのか。我々在野の士、草莽の志士には、失うものは何ひとつないはずだ。末世末法のこの世の中で、貴君らは俗論に流されて生きるのか。父祖伝来の生業も土地も捨て、養うべき者とてない我々ではないか。そんな我々がいつまでも生き永らえ年老いて、それが誰の得になろうか。いま世俗の人のために、我々が出来ることは、」

 彼がそこまで言ったとき、彼の演説が終わる前に、俄かに階下が騒然となった。肥後浪士が咄嗟に明かり障子を開け、地上を見下ろす。門前に現れた数人の浪士風の男たちが、それぞれ手にしてきた浅葱色に白いだんだら模様の羽織を、さっと着込み、門をぶち破ったところだった。
「まずい、新撰組だ。壬生浪士だ」
「畜生」
 それを見た十津川郷士の少年が、上気した顔で脇差を抜き払い、鞘を投げ捨てて
「殺してやる」
 と叫びながら飛び出していった。その拍子に行灯が倒れ、パッと襖に火がついた。彼と肥後浪士も、その後を追って飛び出した。
 階段ではもう、さっきの少年が、階下から槍で胸を突き上げられ、いきなり串刺しになって死んでいた。その横をすり抜けて、二人は階段を飛び降りる。

「斬れ斬れ斬れーッ」
「やれ、やれ」
 待ち受けていた壬生浪士たちが、金切り声を挙げながら二人に殺到してくる。
 二人は土間へ向かって走ったが、肥後浪士の男はそこへ辿り着く前に、三人の壬生浪士から立て続けに斬り付けられ、血まみれになって煮炊き場の大黒柱にしがみつくと、そのまま事切れた。
 彼はそれを振り返ることもなく、ようやく式台の上に立つ。土間には壬生浪士が一人、彼の来るのを待ち構えていた。だが相手は彼に斬り付けては来ず、ただ彼の顔を見て、茫然と立ち尽くしている。
「貴公。――」
 彼も、相手のことを覚えていた。近江国、琵琶湖畔の旅籠で同宿となった尾州脱藩浪士・古河聞一郎は、今は小ざっぱりした新撰組の隊服に身を包んでいた。
「長州に随身したか」
 彼は、違う、と思った。
 長州にとって、彼が身内ではなかったように、彼にとっても、長州は身内ではなかった。
 それならば、一体何であろう。彼はそのことを考えた。

 そうして彼は、自分は――真の草莽の志士である自分は、革命の原動力たる「狂」、にこそ随身したのだと思った。彼はその結論を思いつくと、それをがむしゃらに念じ込み、一途に信じ込んだ。そしてそのために、自分は死のう、という心境さえ、自らの心の中に作り出した。
 どちらからともなく、両者は刀を抜き、二人は一合、二合と斬り結んだ。お互い、あまり剣が達者なほうではなかった。刃が肩を斬り、脇腹を傷つけ、額を掠め、血液が視野を赤くした。
「ぬ、」
 そして最後に両者の刀は、お互いの腹と腹を突き刺した。足から力が抜けて、彼らは腹に刀が突き立ったその姿のままで、土間に転がった。

 建物の二階が燃え始めていた。
 煙と粉塵が、彼の元にも漂ってくる。
 彼は、自分はこれで死ぬのだ、と思った。そうしてそのぼんやりした頭で、自分の人生は、本当にこれしかなかったのか、と考えた。しかし彼には、このような最期のほかには、路上で飢えて死ぬことしか想像が出来なかったので、やっぱり、これで良かったのだ、と思った。
 草莽の志士の最期はかくあるべきなのだ。彼は、また自分に言い聞かせた。そう思う以外のことは、今の彼にとっては悪だった。

 いよいよもう死ぬというとき、彼は、隣に倒れている壬生浪士、古河聞一郎の姿を、ちらと横目で見た。
 彼は、その死に様がおかしくて、思わず笑った。何やってんだ、この男。
 ――こいつ、せっかくの隊服を、裏返しに着ていやがるじゃないか……。
 そしてその古河も、彼を見て、彼と同じ笑いを浮かべたまま、死んでいた。




コメント


この記事に対するコメントの投稿



*ようこそ、トラブルシューター。*

Computer:
 このコメントフォームに「/」を重ねて書くことは反逆です。
 URL欄にアドレスを入れる者は、恐らく反逆者以外にはいません。

 市民の幸福は、コメントを書き、Computer に奉仕することです。
 あなたはComputer の仕事に感謝して、喜んでコメントを書きますね?
 そうしないことは反逆です! 直ちに処刑の対象になります!!
 
















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