革命国家が勝利に向かって前進する玉川上水のブログ

駿河南海軍工廠の後継。近現代史小説を中心に掲載。

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 体験版をお送りします。

 この作品は、まだ完成した状態ではなく、タイトルさえ決まっていませんが、
 みなさんにちょっとお見せできる程度まで進んだので
 ここに紹介いたします。

 内容は朝鮮戦争です。

 書き途中なので、話の途中までしか公開できませんけど
「それでもいいよ~」って方は、ぜひご覧下さい。

 感想、質問なども、宜しければお寄せくださいね。
 できるかぎりお答えいたします。

(ああ、こうやって作品を公開する時のドキドキのために、
 わたしは物書きしているんだなぁ)







 わたしはどこへ行くのか。





 歴史は繰り返すと云うが、まさか自分自身がその言葉を体験しようとは、だれが想像するだろう。歴史上の重大事件、戦争の数々。それが現実の世界に蘇り、我々の前に現れようとは。

 数限りない人間の苦悩、悲憤、無念が立ち昇り、沸き立つ歴史の海。いつの日か、それが現実に変わるとき、その波間へ分け入るあなたは――そう、それは他のだれでも無い。あなた自身なのである――あなたは何を思うだろうか?

 家族や、将来のことだろうか。そればかりではあるまい。かならず居るものは、逃げ出す者だ。仮にそれを考えたならば、止したまえ。そのたくらみは往々にして徒労に終わるばかりか、その者を永遠に葬り去るであろう。歴史から逃げるすべは無い。それは誰にもないのだ。

 歴史はいつの日か蘇り、我々に復讐する。あり得ないと言うかもしれないが、ただ忘れているだけなのだ。
 かく言うわたしも、忘れていた。昭和二五(一九五〇)年夏。朝鮮半島に残された日本最後の拠点・釜山橋頭堡の泥濘の中に、小さなわたし自身を見出すまでは。

 戦争当時、わたしは二一歳。その最後の闘いの中で、辛くも一命を取り留めたわたしは、引き換えに視力を失くした。戦後、わずかに回復した左目で、いまこの原稿を書いている。
 だが完全に失明した右の目は、もはや何物を見ることも能わぬ。これからもずっと。

 あれから十年も経つ。
 日韓あわせて四〇万余の将兵および民間人は、そのとき、紛れもなく歴史の中にあった。
 血塗れの歴史のさなかに。



 世に云う朝鮮戦役のぼっ発を見たのは、その年の六月であった。

 明治四三年の韓国併合以来、帝国は一貫して、半島における不動の地位を固守してきたが、昭和二〇年に共産党系共和国(北朝鮮=ソヴェート同盟圏の実質的傀儡政府)の樹立を見、極東に於けるソヴェート勢力の台頭が顕然となってよりは、我が大日本もこれに対抗の必要から、京城以南に正統共和国(朝鮮国=半島における唯一の正統なる政府。韓国)を建て、これをして赤旗(せっき)の防波堤たらしめんと後図を策した。

 共産軍側はソヴェートより三〇〇輌のT-34型タンク、二〇〇台のロケット式ミグ戦闘機を受け取るなど、着々その兵力を刷新し、さらなる南進――半島の赤化支配をもくろんでいた。

 然るに帝国に於いては、昭和十八年の対米戦役休戦以来の経済不況、政治混乱、国際的孤立、などなどの理由のため、反共産主義の防塁たる半島の防備は遅遅として進まず、南北国境はほとんど無防備にひとしい有様を呈していたのである。
(思い返すに既にこの時点にして、来る征旅の成敗は決して居たのであった)

 半島における我と彼との対立は留まるところを知らず、日ごと高まりを見せ、そして昭和二五年六月二五日、共産軍の南朝鮮侵攻が開始されたのである。これが朝鮮戦役の始まりとなった。

 方々もよく御存知の通り、その後数週間に渡って戦われたこの戦役は、我が方の一方的敗退であった。

 にも関わらず戦後数年間、「いやあれは断じて敗北などでは無かった」という議論が内地では主流をなしていたようである。復員した当時のわたしたちは、戦地に於ける実情をまったく無視したそれらの論説を耳にして、大いに戸惑い、困惑したのである。

 今日ここにわたしが書こうとするものは、終戦後一般に流布された、戦争物語のたぐいではない。朝鮮戦役開戦のあの日、二一歳のわたしに今一度立ち返り、在りのまま、見たままを記すつもりである。



 熊本県立○○中学校(敢えて名は伏す)を卒業した十七歳のとき、わたしの家に召集令状が来た。昭和二一年のことである。

 当時大陸では、蒋介石の国民革命軍と、毛沢東のひきいる共産党軍の内戦が激化して居り、帝国は内満州・華北の権益の保護と、共産軍に対する牽制を目的に、第四次山東出兵の軍を起こしていた。それでわたしのところへも、お国のための栄誉ある白羽の矢――赤紙がやって来たというわけだ。

 応召したわたしは中学卒業者と云うことで、幹部候補生の試験を受けるよう、小隊長の少尉殿から再三の勧めを受けた。

 幹部候補生とは、ある程度以上の教育を受けた者を選抜して、合格者を即席の少尉に仕立てる制度であるが、少尉に任官すれば任期が延長され、それだけ余計に軍役に就かねばならないので、ハッキリ言ってわたしは気が進まなかった。

 けれども、普段からお世話になっている少尉殿のせっかくのご好意であるし、いちど受けてみて不合格になれば、少尉殿もあきらめて忘れるだろうと、わたしは試験を受けることにした。後になってみれば、これがなんとも軽率な判断であった。

 会場には何十人かの受験生が朝から集まっていた。誰も彼も、わたしなどより数段優等の者に見えたが、わたしは念には念を入れる積もりで、配られた答案用紙に名前だけを書き、それを白紙のままで提出したのである。

 これで不合格間違いナシ、と思って気楽にしていたのであるが、暫く経って小隊に合格通知が届けられてきたので、わたしは大変に驚いた。わたしは見習士官となり、約一年後、少尉に任官したのである。

(わたしは軍隊時代、これと同じ体験談を複数の人たちから聞いた。そして、もしこの試験を受けていなければ、あの昭和二五年の戦役に参加することも無かった筈である)



 日本海を挟んで我国と隣合う朝鮮民主主義人民共和国は、今でこそ半島全部を実効支配下に置く、マルクス・レニン主義の統一共和国であるが、戦役が開始される直前、二五年の六月には、まだその支配地域は、北緯三八度線以北に留まっていた。

 当時わたしは、朝鮮軍(在朝鮮半島の帝国陸軍司令部)隷下の中隊付少尉として、京城府内の龍山駐屯地に勤務していた。朝鮮軍は名前に「朝鮮」の二文字が付いているから紛らわしいが、日本軍の司令部であり、日本人の軍隊である。

 戦後の支配的見解では、今次戦役の劈頭に於いて我軍は、北側(共産軍側)の卑劣なる先制攻撃を受け、已む無く半島南部へ転進せり、ということになっているが、わたしの記憶ではそれは若干ことなる。

 というのはわれわれ朝鮮軍の側で、翌未明の敵の攻撃について、ある程度知っていたような様子があるからだ。

 朝鮮軍では北側の暗号を相当程度解読済みであったし、実際二四日朝には敵の通信がとつぜん活発になったと云うことで、司令部では朝から殺気立った気配があった。
 わたし自身中隊長に呼ばれ、

「どうも、戦争になりそうだ」
 ということを聞かされた。

 この中隊長は向坂(仮名)大尉殿といって、こののち停戦までお仕えすることになるのだが、実のところ、わたしはこの大尉殿のことをあまりよく知らない。山形の農家の出身で、熱心な耶蘇(基督教徒)でいらした。それぐらいである。

 わたしは大尉殿から「馬に乗れるか」と訊かれた。
「乗れます」と答えると、今から国境付近の小哨へ行き、攻撃が開始されたら電話で知らせるように、と命令を受けた。

 わたしはまだ、ほんとうに開戦になるのか? と半信半疑だったが、司令部の中庭に出たとき、裏の焼却炉から白煙がさかんにたちのぼっているのを見て、それで初めて開戦の実感を得た。機密書類を燃す煙に違いないと思ったからだ。

 軍司令部は京城を引き払う積もりで居るのだろうか。わたしは少々不安に駆られた。

 北側を援助するソヴェート赤軍は、世界最大の精強無比なる大軍を持ち、一時は「欧州の新指揮者」とも目された獨国ヒットラー総統を、ついには自害に追い込んだ恐るべき敵である。われわれは果して、これに打ち勝つことが出来るだろうか。

 わたしは京城府内の大路を騎馬で横切り、北への路を急いだ。市内は未だ、まったく平穏無事である。

 古くは百済の都、漢城が置かれ、以後も半島の歴史に欠くべからざる存在として、枢要の地位を占めてきたこの街は、外地とは云え、田舎育ちのわたしの目には、眩いほどの大都会であった。

 新たな都市計画に基づき再整備された街路と家並み。本町、明治町に代表される繁華街には西洋建築が建ち並び、かと思えば(北京の紫禁城のような)東亜古来の様式による建物も、また多く残る。

 もしあなたが十年前のあの京城へ赴いたなら、内地のそれとはまた別種の、「近代的亜細亜」を感ずることが出来るはずである。

 戦後十年が経ち、知らぬうちに多少の錯誤が混じっているかもしれないが、わたしが知る京城とは、およそそのような街であった。

 ――もし開戦となれば、この街も戦火に晒されることになるのだろうか。

 わたしは流れ去る景観を時折横目に見ながら、そのことを考えた。
 今世紀、帝国があらゆる努力を傾けて築き上げたこの街。明治以来の我々の先達が、自らの夢を託して造営してきたこの街に、いま、脅威が迫っている。

 帝国が大陸へ、そして世界へと雄飛する見果てぬ夢――。それが戦火に焼かれたとき、我々日本人の胸中に去来するものは果たして、なんであろう? そのとき我々は、わたしは、何を考え、何を想い、そして、どうするのだろうか。

 わたしはそのまま、府の中心地を離れた。



 上述した通りの近代的都会、小帝都とも呼べるようなその街も、官庁街、繁華街をあとに十数キロも行けば、周囲の風景はまったく一変する。そこはもはや、荒涼たる自然が広がるのみである。

 わたしは暫し馬をやすませ、地平線まで低くうねる半島の山河、丘陵、遠くに望む疎な立ち木の群れ、湧き起こる雲と、わずかに赤みがかって所々紫に見える狭い空を眺めて、そうしてふと、我が郷里を思い起こした。

 祖国を遠く離れた、異国の荒野である。しかし、それがわたしの故郷の姿と、不思議にも似通って見えたのだった。なぜそう見えたのかは、今もって分からないが、大勢の人口で賑わう市街地から、急にこのような原野に出たので、まるで夢でも見ているような、そう、夢の中の故郷に帰ったような気持ちになったのかもしれない。

 再び出発しようとしたとき、遠くにプロペラ機の爆音が聞こえた。やがて稜線の尾根を越え、北側から単発機の黒い影が一機、かなりの低空でわたしの上を飛びすぎていった。

 わたしは騎乗のまま双眼鏡をかざして、南へと飛ぶその飛行機を見ていた。いま考えるとゾッとするが、そのときはまだ、そんな風にのんきな気分が残っていたのだ。

 国籍マークを消してあったが、日本機の形ではなかった。のちに分かったところでは、それはイリューシンという飛行機で、タンク(戦車)に大穴を開けるほどの機関砲を持ったやつであった。このときは攻撃に先立ち、偵察に来たものであろう。

 開戦を待たずして、すでに敵機は易々と我が上空に飛来していた。だがこれに対する我が方の邀撃は、共産軍側を刺激するとして、常に消極的であった。現在における我が空軍機の積極姿勢からは、まったく考えられぬことである。

 わたしは更に馬を進めた。もう小哨も近いはずである。
 馬を下り、しばらく歩くと、谷川沿いに人影を見た。韓国兵が岩場にうずくまり、水を飲んでいる。

 当時半島南部には、日韓両軍がだいたい同数程度で居り、国籍の違いは軍服・装備によって識別可能である。わたしはそれへ近付いて行って、声をかけた。彼は気付かぬ様子である。
 わたしはもっと歩み寄って、彼の肩を揺すってやった。

 彼は白い水しぶきを上げて、河中へ倒れこんだ。そこで初めて、腹に銃剣が突き刺さっているのが見えた。彼は死んでいたのだ。
 わたしは初めて見た死体にすくみ上がり、ものも言えなくなった。わたしは河原を這うようにして、夢中であとずさった。

 わたしは、周囲を見回しながら、震える手で、やっと拳銃を抜くことができた。二度、三度、わたしは気配を探り、辺りに耳を傾けた。しかし聞こえてくるのは、かすかな鳥のさえずりと、虫の声だけである。

 数分もそうしたあと、わたしはそれでも慎重に、注意深く死者を馬の背に乗せた。
 腹の銃剣は、迷ったが、抜いた。出血はなかった。すべて川底へ流れ出してしまったものか。
 未だ生々しい血の痕が残るその銃剣を、わたしは持っているのも嫌で、河の中に投げ捨てた。



「近頃多いんだ。北の斥候か共産ゲリラか、どちらかの仕業だな」

 わたしは小哨で、朴という韓国軍少佐に遺体を引き渡した。朝鮮人だが日本語に明るく、発音にも違和感がない。

 のちに聞いたところでは、朴少佐は日本の士官学校で教育を受け、四五年まで「高木」という日本名で満州に居たという。当時、韓国軍の士官にはこのような経歴の人が多かった。
(戦後知ったのだが、事情は北側でも同様で、彼らの多くもまたソ連や中国で教育を受けた者たちから成っていたのだという)

「開戦になるでしょうか」
 わたしは中身が半分ほどになった水筒に栓をしながら、朴少佐に訊ねた。我ながら、幼稚極まる質問であったと思う。もしも相手が朴少佐でなかったら、途端に怒鳴られていただろう。

 わたしより十ほど年長で、しかし歳の差だけではない独特の風格を持つこの少佐は、眉ひとつ動かさず、わたしの問いに答えもしなかった。その視線の先では、三人の韓国兵が協力して、わたしの馬から死体を引き降ろしている。

「少尉。この土地には、かつてこういうことがあってね」
 彼は長い時間、それを見つめたあと、唐突にわたしに切り出した。

 それが、たったいま急に思いついたものなのか、それとも十年も前から考えていたものなのか、わたしには分からない。朴少佐の口ぶりは、そのどちらとも受け取る事ができるものであった。

 彼は、北に霞む山々を見、そして南へ白く続く河流に目を転じる。

「その昔、北に国があり、南にもまた国があった。二国は相容れず、ついに兵火を交え、やがて北の軍が有利となった。大陸で新たに興った大国が、北に加担していたんだ」

 朴少佐の話が、たんなる昔話でないことは、わたしにもすぐ分かった。
 わたしの先刻の問い、「戦争になるか」という疑問に対しての答えでもある。半島が南北に分かれるとき、両者は宿命的に対決せざるを得ないのだと、少佐は言っているのだ。

「南の軍は海を隔てた島国――あなたの国、日本に助けを求めた。日本はそれを受け容れ、軍を派遣した。そうして、両者はともに戦ったんだ。ここにはそういう故事がある」

 言われて、わたしもそれを思い出した。個人的な興味からではないが、中学で習った記憶がある。「故事」とは、今を遡ること一二〇〇年の昔に起きた、白村江の戦いだ。

 だが――。わたしには、合点がいかなかった。
 半島南部の勢力と、日本が同盟して戦った。そこまでは分かる。だが白村江の戦いは、南の百済と、救援に向かった日本軍が、北の新羅、そして当時の超大国・唐の連合軍によって、完膚なきまでに破られ、歴史に残る大敗を喫した戦いなのだ。

 その結果、百済は完全に滅亡し、新羅が半島を統一した。百済は、二度と蘇ることは無かった。
 大陸は唐と、その同盟国新羅によって支配され、すべての拠点を失った日本は、彼らの侵攻と、来たるべき本土での戦いを待つことになる。

 例が悪すぎる――。
 わたしがそのことを伝えると、朴少佐は「そうだな」とすこし笑って、わたしを見た。「しかし、少尉」。

「奇妙な符号だと思わんか」
「符号?」
 わたしには、少佐の言わんとするところが分からなかった。
「超大国ソ連、中共、それに北韓」
 少佐は頷き、続けて言った。
「彼らを唐、新羅とすれば、ここに居る我々は、いったい何だろうか。君や私、我々は、はたして何者にあたるのか」

 ――そしてこれから、どうなるのか?

 わたしは答える術を持たなかった。口に出して言葉にしてしまうことは、当時のわたしには、それはあまりに恐ろしすぎた。

「少尉」
 沈黙するわたしに、朴少佐はなめらかな日本語で、陰鬱にもならず、極めて平静な口調で言った。
「始めから、分の無い勝負さ。こいつはね」

 半島の二つの国の上に、黒々と重い巨雲が横たわっている。
 やがて豪雨が降り注ぎ、雷鳴が天地にどよもすだろう。

 昭和二五年六月二四日の夕。
 わたしは、歴史の中にいたのだ。

コメント

No title
初めまして

以前から、貴ブログに
来ていて「遠い約束」などの
愛読者です。

今回、思い切って
コメントしてみました。

良い出来だと思います。
(白紙で出したのに何故合格か
は、わからないのですがw)

続きが読みたいです。

続きが出る事を心よりお待ちしております
2009/04/20 20:12URL  F2支援戦闘機 #syYSEaHs[ 編集]

No title
ありがとうございます!

>白紙で出したのに何故合格か

これはですね、実際の旧軍であったと言われているエピソードです。

この話の主人公(わたしという男)のモデルは、俳優の池部良さんなんですが、
大学卒業後東宝に入社し、銀幕を飾る大スターの道を歩み始めた池部良にも
戦争時代には召集令状が来、そして作中にあるような
「白紙で出したが合格」という経験をしたそうです。

士官不足でしたからねぇ、皇軍て。

>続きが読みたい

これからどうなっちゃうんでしょうね、この話の日本は。
わたしも楽しみですよ。続きが。(え?)
2009/04/20 23:07URL  廠長 #Iu2BPJvY[ 編集]

No title
ちょwww

「私も続きが読みたい」
という事は まだ続きが
出来てないのですか?

さすが廠長
考える事が我々 凡人には
わからないw

まぁ 気長に待ちます
2009/04/21 20:35URL  F2支援戦闘機 #syYSEaHs[ 編集]

No title
>出来てないのですか

そりゃそうですよw
途中まで書けて嬉しくなっちゃっただけで
全部できてたら、いっぺんに公開してますw

できるだけ短くするつもりですけど、
全体で三部構成か、へたしたら四部構成くらいになるかと。
一ヶ月で出来るかなー。

(ちなみにわたしはただの田舎モンです)
2009/04/21 22:09URL  廠長 #Iu2BPJvY[ 編集]

No title
最近

いわゆる「架空戦記」に
ハマったので

ネットサーフィンしながら
読み漁っていたのですが
完結していなかったり
時系列が バラバラで
良く分からなかったりする物が
多いです。

そこへ行くと廠長の
書く話は
時系列がしっかりしていて
とても読みやすいです。

なぜ こんな話を
いきなりしたかというと・・・

工廠にある「清算」の
続きが早く読みたいからですw

まぁ朝鮮戦争 終わってからで
いいので できれば
続きをアップしてほしかったり・・・
2009/04/23 16:32URL  羽村 #syYSEaHs[ 編集]

No title
うちも完結してないもの多いですよ、非常にw

わたしはネット小説読まないので
よそ様の作品がどうなってるのか知りませんが、
お褒めいただきありがとうございます。嬉しいです。

>清算のつづき

あー……。
それは、今年は無理かもです。ごめんなさい。

しかし何を隠そう、この朝鮮戦争の日本は
戦後、「清算」世界のような日本にシフトするはずですよw
「清算」の前日譚と思って頂いても殆ど差し支えないかと。

異なるのは人名や年号だけじゃないかな。
でもそんなの些細なことですしね。
2009/04/23 20:05URL  廠長 #Iu2BPJvY[ 編集]


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