革命国家が勝利に向かって前進する玉川上水のブログ

駿河南海軍工廠の後継。近現代史小説を中心に掲載。

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 お待たせしました一部の人に。
 第三部です。

 第一部
 第二部










「汝ヤシル、都ハ野辺ノ夕雲雀――アカルヲ見テモ落ルナミタハ」
(『応仁記』)



 世界はそれぞれの時代に課題を有し、その解決を求めて、時代から時代へと動いてゆく。
 その中でわたしが遭遇したものは、止めがたい世界の変容であり、一時代の死である。
 そしてそれらすべての中心は、半島の行政、経済、軍事、交通の要にして、大人口を擁する都・京城であった。

 敵共産軍は、朝鮮民族の精神的象徴である京城奪取をもって、戦争全体を一挙に決定せんと目論み、その占領に全力を投じて、六月二五日、逐次攻撃前進を起こした。対する我が軍もまた、京城前面に敷いた防禦線内に敵を引き寄せ、その水際でもってこれを叩く腹積もりで在った。

 開戦より数時間。だが京城は戦争勃発のその以前より、既に破壊を免れ得ない運命にあった。然し京城府下五〇万の国民は、未だそのことを知らぬ。わたしは友軍の輸送車に便乗し、その京城へ向かい、一路南下の途にあった。

 その日の昼前、雨勢強まり、道はまたたく間に泥濘と化した。今次戦役におけるわたしの心象は、この雨と泥である。敵味方どちらとも知れぬ砲声が雨音に混じり、耐えがたいほどの湿気と緊張で、わたしも運転手の兵長も、背中にべっとりと嫌な汗をかいていた。

 幾度もぬかるみに落ち込みそうになりながら、輸送車はもがくように道を急いだ。兵長は引き吊りきった汗まみれの顔を、時折戦闘帽でぬぐいつつ、懸命に変速レバーを操り、絶えることなく気を張り詰めて、機関に息を吹き込んでいる。悪路のため、ひどい振動で、わたしは天井から下がっている紐に掴まって、ぶら下がらなければならなかった。

「心配だな」
 雨外套を着、小銃を担った歩兵の隊列が、道の脇を歩いて北へ向かっていた。わたしがそれを見て独り言ちると、兵長はすこし不機嫌そうに眉間を歪め、
「これでも運転歴は十四年になるんです」
 と言った。
「いや、そのことではなく」
 わたしが言いかけたとき、輸送車がひときわ大きく揺れ、わたしは鉄がむき出しの天井に頭を打ちつけた。わたしは呻いた。

 あのとき、わたしの心を騒がせたものがなんであったのか、わたしにも分からない。わたしを不安にし、怯えさせたものは、ただ漠とした予感――それも、よくない予感であった。間断なく続く雨音、乾かずに冷えた汗の感触、不規則に唸る機関音が、わたしの考えを乱し、わたしを焦らせていた。

 それから暫く行ったときである。突如として銃声が響いた。続けざまに四発、五発。行軍中の隊列が泥中に伏せる。
「停めろ、消せっ」
 わたしは兵長に向かって叫んだ。兵長はわたしに言われるまでもなく、車を畑小屋の陰に隠し、燈火を消した。

 街道を北上していた我が軍部隊を狙ったものか。ややあって、再び連続する銃声。これは我が軍歩兵銃による反撃である。敵は逃走したらしく、我が軍兵士数名が逃げる敵を追捕しているようだ。銃声が遠くなっていく。
「糞!」
 兵長は咄嗟に手にした機関短銃を肩へ掛け直して、吐き棄てた。
「共産匪め」

 それは破壊活動を企図して北側から紛れ込んだ共産匪、或いは朝鮮国内の不逞の輩による襲撃であった。我々の行動は常に彼ら賊徒の監視下にあり、我が方の意図はまったく筒抜けの状態で在った。機を見るに敏な彼らは、我が軍側に隙ありと見れば攻撃をためらうことはなく、また不利を悟れば、逸早く逃走・離散して、現地人の中に隠れてしまう。

 輸送車は議政府市回廊を抜け、京城北郊に達した。城北正面には既に防禦線が敷かれ、路には検問所が置かれるとともに、数台の三式中戦車も展開を終えていた。わたしが騎馬で北へと向かったときとは比較にならぬ物々しさだ。我々は検問を受けた。

 憲兵の腕章と眼鏡を掛けた下士官が、お定まりの
「官姓名、所属、目的」
 を問うてきた。わたしは司令部を出るとき、向坂大尉殿から頂いた命令書を取り出し、憲兵に手渡した。彼はそれを開いて目を通すと、丁寧に折り畳んで返して寄越した。

 憲兵が敬礼すると同時に、兵長は剪断器を繋ぎ、加速ペダルを踏み込む。すぐ傍では、市街からやって来た別の輸送車に兵員が取り付き、雨音に負けじと声を張り上げて、荷台から九二式重機を担ぎ下ろしていた。

 我々はその隣をすり抜け、水たまりの泥水を掻き分けて府内へと進んだ。人家が目立ち始め、車は市街へと入る。商店、理髪店、食堂。ハングルと日本語が混交する看板が雨露に濡れ、街は水煙の中に沈んでいた。龍山の朝鮮軍司令部へ着く頃には、夕方近くになっていた。



 兵営の広大な敷地の中で、帝国陸軍の佐官級から二等兵まで、あらゆる階級・歳格好の将兵が立ち働き、営内に人馬、車輌の出入りすることしきりであった。営門に立つ歩哨の兵士も、いつになく緊張に顔を強張らせている。
 人だかりで、酷い熱気だった。市街地で見た、平時と変わらぬ人々の営みとはまったく違い、気色ばった只ならぬ気配が充満している。

「少尉。ご苦労だった」
 敬礼して原隊復帰の報告をすると、向坂大尉殿は熱心にわたしを労ってくれた。
 大尉殿の事務机には、綺麗に整理された書類が積まれ、壁には墨筆画の掛け物が掛かっている。その意匠にわたしは暫し目を留めたが、大尉殿はわたしのその視線には気付かなかった。

「今次の戦役だがな」
 大尉殿はわたしに煙草を勧めながら言った。わたしが手のひらを立ててお断りすると、大尉殿は箱を机に置き、わたしに向き直って、続けた。

「はじめ、この攻撃が単なる恫喝なのか、それとも全面戦争なのか、司令部では判断できなかった。大本営や景武台(朝鮮国国務院)でも同様にな。だが敵の攻撃の規模、侵攻速度からして、戦争の公算が大きいと最終的には判断されたんだ。結果的に、それが正しいと分かったのは今朝の八時だよ。平壌のラジオ放送が金日成の演説テープを流した。内容は開戦だ」

 わたしは大尉殿から、その演説の邦訳したものを受け取った。その内容は、仮にも一国の口から出た言葉とはとうてい思われぬ、粗暴の極みであり、その乱暴な語り口・論法に、わたしは戸惑いを覚えた。

「それで、我が国の側からは何か?」
 わたしは大尉殿に訊ねた。大尉殿は椅子に腰掛け、くわえ煙草に火をつけると、略衣の白い袖を折り返しながら、答えた。

「二時間前、畑(俊六)総理が臨時の帝国議会で声明を発した。内地の三個師がこちらへ増派される。しかし名目はあくまでも出兵だ。戦争ではない」
「どういうことです」
 わたしは詳しく事情を聞きたかったが、大尉殿はそれに答えることはなかった。だが実際に、当時の我が国政府はこの戦役を戦争とは呼ばず、事変と呼称する旨発表を行った。

 それは帝国が平壌政府を国家として正式な承認をしていなかったこと、それに(こちらが真に重大な理由であると思うが、)ソヴェート連邦を刺戟して、共産諸国との全面戦争につながることを恐れたのであろう。

「間もなく、十六時だな」
 大尉殿は腕時計を見ながら立ち上がった。立てかけていた軍刀を取り、刀帯の金具に装備する。
「これから講堂で軍司令官閣下の訓示だ。貴公は積込み作業の応援に行け。悪いが休ませてもおられんでな」

 わたしは一礼し、室を辞した。その夜は庭にかがり火が焚かれ、龍山の兵営は眠ることがなかった。だが我々の知らぬうちに、戦局は一変しようとしていたのである。そのときが訪れるのは翌日のことだ。



 二六日。軍司令官・富永恭二大将の訓示が、各部隊長を通じ、全軍に布告された。それは皇軍の必勝と帝国の不敗を喧伝し、我々将兵を鼓舞する督励文であったが、前線の実態は、軍司令官閣下はもとより、司令部員のだれもが予期せぬ形で、急速に変わりつつあった。

 司令部には我が軍前線の戦況が、時々刻々伝えられて来る。開戦から二四時間以上が経過し、すでに前線の我が軍部隊は体勢を立て直し、朝には東北正面で反撃に成功、敵を撃退との報告ももたらされていた。我々はそれらの報告に一喜一憂していたが、やがて不気味な共通点を持つ報告が目立ち始めた。それは敵のタンクの素晴らしい衝力である。

 誕生間もない敵共産軍が、機甲部隊を有効に使用していること自体、ひとつの驚きであったが、何よりも我々を瞠目せしめたものは、敵タンク自体の類稀なる頑強さであった。

 当時共産軍の装備していたT-34/85型中戦車は、ソヴェートが大戦中に開発した世界でも屈指の高性能戦車で、強力な八五ミリ主砲一門を備え、傾斜した分厚い装甲板を持っていた。敵はこのT-34を前面に繰り出し、我が前線に対し猛烈なる攻撃を掛けてきたのである。前線ではたちまち激戦となった。

「我が軍の速射砲は、ありゃぁ駄目だぜ。十年前の骨董品で、効果はない」
 軍務課に属する同期生の少尉が、あたりをはばかりながら、わたしにそっと漏らした。
 速射砲とは、口径は小さいが初速の速い長砲身砲で、今風に言えば対戦車砲である。タンクの配備が少ない我が軍では、敵戦車の進出を阻むのは速射砲の威力を頼むところ大であったが、それが無効であるというのだ。

 当時、内地所属の部隊では新型の七五ミリ砲(自走)に切り替わりつつあったが、半島では未だ旧式の四七ミリ速射砲が大半で、七五ミリ砲の配備は数える程度であった。そしてまさしく彼の言うとおりこの四七ミリ砲は、尋常な方法では敵にかすり傷ひとつ与えられない代物であった。

 たちまち、その結果が事実となって現れた。歩戦一体の敵は、国境の我が方前線を機甲突破し、街道を一挙に南下して、正午には首府北辺を守る要衝・議政府の市が戦いの焦点となった。それは京城から北へ上ること、僅か二〇キロに位置し、呼べば返るが如き近間である。

 京城まで車輌で一時間のこの市に、我が第二〇師団から歩兵七九連隊、第三〇師団から歩兵七七連隊が布陣し、それに朝鮮国軍第七師団が加わって、議政府市絶対防禦線を形成した。十四時、西海の風に雨中天高く赤旗を翻した敵は、攻勢準備射撃を起こしたのち、十数台のT-34/85をもって先駆となし、兵ら、続々と鬨の声をあげた。その数は歩兵二個師団、及び二個戦車連隊からなり、質量ともに我が方を凌いでいた。

 わたしはその頃、司令部で前線に送る補給品の書類整理にあたっていたが、大尉殿から急な呼び出しを受けて、前線の容易ならざる事態を知った。戦況は朝の報告にあった楽観的な調子を一変させ、恐ろしい結末に向けて、全力で疾駆していたのだ。

「議政府だ。議政府はまずい。あれは寄せ手に利だ。味方は保つまいぞ」
 大尉殿は各小隊長など中隊の幹部要員を集めて、机に議政府市の地図を広げ、言った。
 その地形は一般に回廊と呼称される類のもので、守備に向いた障害もなく、機甲部隊の衝力が最大にものを云う。友軍の不利は明らかだったが、軍司令部の意図はあくまでも京城府郊外での決戦にあり、議政府市固守の立場で譲らない。

「愚かな」
 第二小隊の橘中尉が、机に両手を突き、激昂寸前の激しさで大尉殿に詰め寄った。
「戦車を中心とする京城北郊の敵勢力は、非常に強大なものであると判断せざるを得ません! 現在の防禦線で戦闘を継続することは、徒に将兵を失うだけです。今からでも遅くありませんから、防禦線を漢江南岸に下げ、地の利を以って戦うべきです。そのように上申して頂きたい」

 中尉は、彼我の戦力と周辺の地形から考えて、漢江の川の流れを利用せぬ限り、勝利はないと考える将校のひとりであった。川を挟むことで時間を稼ぎ、内地からの援軍を待って反攻に転じるべきだという考えである。

 この考えは下級将校のあいだで広く支持されるものであったが、これには問題があった。漢江は京城を東西に横切って流れる川で、その南岸まで下がるということは、北岸の京城府北半分を敵に明け渡すことになる。漢江北岸には、景武台をはじめとする朝鮮国の行政施設や、帝国の出先機関も数多い。この龍山もまた、漢江北岸に位置する。そういった政治上の問題が、軍司令部に漢江決戦を躊躇わせていた。

 だが、最早そのようなことを問題としているときではなかった。京城を巡る戦況は、この数時間のうちに極度に悪化しており、軍司令部による早急な決断がなければ、漢江北岸 のみならず、全軍が崩壊の憂き目に遭いかねない状態であった。大尉殿は便箋に筆を走らせ、それを破ると、わたしを呼び付けた。

「これを芳賀連隊長に渡せ。向坂から火急の用向きだと」
 中隊長から連隊長へ、直接意見具申を行うことは異例のことと言えるが、連隊長の芳賀大佐は、陸士時代に大尉殿の教官であった方で、お二人は格別昵懇の間柄であった。封書を受け取り、室を辞したわたしは、そのとき、北の彼方に響く砲声をはっきりと聞いた。わたしの掌に汗が滲んだ。それは六月の大気にただよう、厭な湿り気のせいばかりではなかった。



 議政府市絶対防禦線の会戦は、開始直後から友軍の悲惨な敗報が相次いで届いた。皇軍二個連隊、朝鮮国軍一個師団が動員されたとはいえ、敵共産匪の蠢動が各地に相次ぎ、実際に前線にあったものはわずか二個大隊に過ぎず、遅れて到着した部隊は各個に撃破される有様であった。

 だが富永軍司令官は敗北を認めず、龍山の諸部隊を逐次投入し、朝鮮国軍の蔡秉徳参謀総長も、議政府を決戦の地と捉えて増援部隊を送り、予備の部隊がなくなれば、陸軍士官学校の生徒を緊急に呼び集めて北へ送り出した。だがそれらもまた劣悪な交通事情のために小部隊ごとの到着となり、それぞれに撃退された。

「そうか、向坂がな。奴の言は正しい。半島の関ヶ原はここだ、京城だ。議政府ではない」
 芳賀連隊長は少佐時代から朝鮮軍に属しており、半島の地理に明るい。半島の貧弱な道路網では、大部隊を一度に展開することは至難であり、守るに難い議政府決戦の不利を早くから悟っていた。

 この見解は各連隊長、師団長級では一致を見ていたが、城府郊外決戦の戦略方針を変えるまでには至らなかった。軍司令部は京城府市街が戦場となることを恐れるあまり、兵力を無為に損耗していった。歩兵七七連隊、同七九連隊はともに大きな損害を受け、我が師団は歩兵兵力の三分の一を失った。師団はなおも二個歩兵連隊を隷下に有していたが、うち歩兵八〇連隊は大邸にあり、京城を守るのは我々の歩兵七八連隊のみとなった。

 戦いは一晩中続き、深夜まで砲声の絶えることはなかった。T-34に対し唯一効力を発揮したのは高射砲で、我が陣地深くまで突出した敵戦車三両を、高射砲第六連隊の八八ミリ砲が水平射撃によって撃破したとの報告もあった。だが戦勢は動かず、議政府を陥落した敵はついに京城の城門に迫った。

 軍は市街戦を決意し、第二〇師団は龍山駐屯の残存兵力を出陣せしめ、府内要所に配して徹底的に争う覚悟を決めた。わたしの隊にも出動が命ぜられ、午前四時、我々通信隊は歩兵七八連隊の一部とともに兵営を出発。龍山兵営の北に位置し、京城駅、京城府庁舎にも通じる南大門路に展開した。

 大路には四車線の広い車道が整備され、市電の架線が雨粒を滴らせながら、空に低く架かって、延びている。石造りの門、裾広がりの屋根を持つ二重木造楼閣の外観で知られる南大門がそびえるのもこの路だ。李王朝の太祖・康献王が十四世紀に建てたもので、我が国の兵団がこの門前に展開するのは、豊太閤の御世以来のことである。

 我々は門を背に、街路に障害を設け、鉄条網を張り巡らせた。障害敷設には、二〇ミリ機関砲四門を具する対空砲車ソキが意外な働きをみせ、路面軌道上にあった市電を繋いで牽引し、街路に対し垂直に向きなおして、敵の突撃を防ぐ障壁と為した。

 夜半来の雨、芬々として降り止まず、朝には車軸を流すが如き大雷雨となった。閃光白龍と化して天に踊り、湧き上がる雷鳴、地を圧して轟く。稲妻が走る空に門の陰影が浮かび、戦雲続々と集まり我が頭上を覆った。いまや敵砲声間近く、南山の野砲兵二六連隊が砲火を開いてこれに応え、ここに京師はまったく死地と化したのである。

 城府北部に砲弾が着弾し、地響きが起こった。大路に展開する我々は敵戦車の強襲突撃を十字砲火で阻む方途を採り、交差点を中心に二門の四七ミリ砲を設置。また大路を見渡す南大門楼閣に九二式重機と擲弾筒を上げ、機関銃中隊が陣取って、屋根には狙撃兵が配置された。わたしたち通信隊にも小銃が配られ、五発の実包が渡されて、用意はいっさい整った。

「まず私らが撃ちますから、それに続いてください。無駄撃ちはしないで。いいですね?」
 歩兵中隊の班長が雨音に負けないよう、大声でわたしたちに注意した。わたしは口を引き結んだまま、黙って頷いた。何を言う気力もなかった。

 これからどうなってしまうのか、それを考えただけで、わたしは恐ろしさで声も出ず、雨に濡れた小銃の冷たさと重量が、これが夢でなく現実だと教えていた。わたしの生涯は本当に今日で終わるかもしれない。わたしは積み上げた土嚢の影で、雨滴の光る小銃を抱いてそのことを思い、空を仰いで困じ果てた。しかし、どうしようもなかった。

 雨はいっそう強まり、雨音と遠い砲声だけが聞こえる。静かであった。このまま何事もなく、できれば味方が勝って終わればいい。だがむろん、そのように好都合なわけにはいかなかった。沿道の建物に上った狙撃兵が、大声で叫びながら、道の先を何度も指し示しているのが見えた。やがて車輌の機関音が聞こえ出し、前照灯の灯りも靄の中に見えてくる。

「弾込めっ!」
 双眼鏡を手に土嚢に片足をのせ、身を乗り出して見つめていた中尉が、命令した。みな一斉に小銃の棹桿を引き、実包を装填する。わたしも棹桿に手をかけたが、うまく引けず、何度も試みて、ようやく弾を込めることが出来た。

 わたしは雨に打たれながら、発砲の命令を待った。だが命令はなかなか出ない。わたしは緊張し、今にも敵兵が車輌から降りて、銃弾を浴びせかけてくるのではと思った。車輌はいよいよ近付き、いまやその陰影まで見て取れるまでになった。三輪の小型自動車だった。

「待て、撃ち方待て」
 中尉は命じるや否や、陣地から単身飛び出していった。中尉は路上に立ちはだかり、拳銃を引き抜くと、地面に一発発砲して、車を停めさせた。乗っていたのは年配の鮮人であった。

「きさまは何だ!」
 中尉は男を引き降ろすと、鋭く誰何した。男は避難民であった。家財道具を積み、市域を逃げ出してきたのだ。班長も男に走り寄り、
「戻れ! ここは現地人は通れん」

 男は、もう逃げる道がないと訴えた。北は激戦中であり、どの道をだれが押さえているのか、さっぱり見当もつかない。男の言によれば、政府が首都を京城から南の水原へ移したため、都を逃げ出そうとする民衆で、市街は恐慌に陥っているという。

 避難民は次々と増え、大路に詰め掛けた老幼婦女子の群衆は、瞬く間に数百人以上の大集団となった。わたしたちは当惑した。いったいこの群衆を、我々はどうすればいいのか。まさか銃火を持って追い散らすことはできない。かといってこのまま見過ごしにもできなかった。いつ彼らがやって来たこの道の奥から、敵軍が現れぬとも知れないのだ。もしそのような事態になれば、彼らは敵味方の軍に挟まれ、世にも凄惨な情景が現出するだろう。

 中尉は最初、三輪自動車の屋根に上り、膨れ上がった避難民の集団に向かって、元来た道を戻るよう大声で説得していたが、やがてその無駄を悟り、
「仕方がない、通してやれ。遮蔽物をどけろ」
 班長に命じた。数人の我が軍兵士によって障害物の一部が取り除かれると、群衆はその小さな切れ目へ怒涛のように殺到し、凄まじい形相で押し合いへし合いながら、我先にと駆け出した。

「馬鹿野郎落ち着け! 慌てるな」
 群衆の背後で中尉が怒鳴ったが、興奮した彼らの耳に入るものではない。他人を押し退け、自分だけが生きようとする人間の心理を、わたしたちは目の当たりに見たのであった。

 突き飛ばされた鮮人の或る若い女性は、鉄条網に頭から突込み、烈しい悲鳴をあげた。
 わたしたちが数人がかりで慌てて抱き起こすと、衣服は肩先から無残に裂けて、白い細面は鮮血に染まっていた。
「衛生兵!」
 わたしは救護班を呼んだが、そのまえに女はわたしたちの間を抜けて、脇目も振らず逃げ出してしまった。不憫であった。

 彼ら避難民の通過には、三〇分余もかかった。貴重な時間が無為に失われた。中尉は幼な子を抱きかかえて鮮人の母親に返しながら、
「もう誰もいないか」
 と辺りに呼ばわった。中尉の呼びかけに応える声はなかったが、しかしその代わり、風を巻いて現れた一発の砲弾が我方へ突入し、轟然と炸裂した。爆風が何人かの兵士を跳ね飛ばし、直撃した商店が木片と土砂を噴き上げた。屋根瓦が路上へ滑り落ち、裂けた看板が空から落ちてきて、乾いた音を立てる。土煙が薄れると、その先にタンクが現れた。敵だ。

「戦車警報、対戦車防禦!」
 中尉が叫ぶ。崖崩れのような戦車の無限軌道(キャタピラ)の音が大きくなった。わたしは再び小銃を構えた。無論、それで戦車がどうにかなるはずもないが、みな急迫するT-34/85に銃口を向けていたので、わたしもそれに倣ったのである。
 わたしたちの横では、土嚢で巧みに隠した四七ミリ砲に数名の砲手が付き、尾栓を開いて静かに弾をこめ、待ち構えていた。彼らは唇を引き結び、雨水の滴る鉄兜の下から、凝っと敵の動きを見つめている。溜息ひとつ吐かない。

 戦車が生ずる振動のために、わたしは歯の根がまったく噛み合わなくなった。照準をつけてもすぐに外れてしまい、わたしはその都度小銃を構え直して、銃床を力一杯肩に押し当てなければならなかった。敵戦車は十数名あまりの歩兵を伴いながら、微速で前進を続けつつ、再び主砲を放った。

 弾は狙いを外れて、道路脇の建物の二階に命中し、破壊孔から埃や雑多の生活器具が爆発して、噴き出した。我々は頭からそれを被り、わたしの鉄兜にも何かが当たって、地面へ転がった。拾い上げてみると、刃渡り二〇センチもあろうかという厚手の支那包丁である。そう云えば、ここの二階屋は戦前、満州料理の老舗として有名であった。

「なぜ撃ち返さん。屠殺だぞ」
 誰かが背後の速射砲に振り返って、怒鳴った。砲手たちは身じろぎもせず、ただ身体を小さく屈めて、目立たぬようにしている。双眼鏡を構えた下士官が、静かに一言
「まだだ!!」
 と鋭く答えると、その兵士もそれ以上は一声もなく、再び正面へ向き直って、砂の混じった唾を吐いた。

 距離は一〇〇メートルを切り、敵は更にじりじりと近接する。敵はこちらには気付いていない。万一悟られれば、わたしだけでなく、全員の命が無いだろう。あの忌々しい雨と泥が我々に味方していた。タンクはもう細部の部品に至るまで、見分けられる程度のところに在る。

 まだ撃たないのか――。わたしは堪らず砲へ振り向いた。驟雨に霞む南大門の楼閣が大きい。敵はとうとう最後の交差点に差し掛かる。その瞬間、楼閣に陣取る兵士の影が動き、その二階から吹きすさぶ嵐の空へ、あざやかな日章旗が揚がった。旗は大粒の雨に叩かれ、折からの強風に煽られながら、たちこめる暗雲に一滴の朱を点ずる。「戦闘開始」の合図であった。

 速射砲の下士官は、掲げていた右手を素早く降ろした。二門の速射砲が同時に光芒を放って、一瞬跳ね上がるのが横目に見えた。砲弾はタンクの正面および右側面に寸分違わず命中し、僥倖なるかな、鋭い金属音とともにタンクの行き足が止まった。車体底部から白煙が噴き出す。

 続いて九二式重機が唸った。数名の敵兵が倒れ、同時に擲弾筒弾が降り始める。わたしたちにも土砂が降りかかったが、それを避けるほどの余裕はなかった。わたしたちも泥まみれになりながら小銃を操作し、発砲したが、手渡された五発の実包はあっという間に撃ち尽くしてしまい、あとはもう、ただ見ているしかなかった。

 T-34の砲塔天蓋の上げ蓋が開いた。どこに損傷を負ったものか、車内からも大量の白煙が逃げてくる。その中に脱出する乗員の頭が見えた。飛行兵のような皮革の帽子を被っている。わたしが次に見たのは、その頭が吹き飛び、四散する瞬間であった。狙撃だ。砲塔はたちまち鮮血に染まり、敵兵はそのまま元の車内へ落ちていった。それ以後車外へ出てくる者はなかった。

 着剣した歩兵が陣地を飛び出していく。乱戦になった。両者とも数は大差なかったが、息を殺して待ち構えていた分、士気の点で我が方が敵を凌いでいた。停止した戦車の周囲に互いの士卒が入り乱れ、銃剣・白刃が閃き合う。銃剣の装備がなかったわたしは弾の尽きた小銃を捨てると、拳銃を固く握り締め、土嚢から眼だけを出してその様子を覗いていた。

 そのわたしの左手から、一人の兵士が土嚢を飛び越えて我が陣地へ躍り入った。わたしは最初彼を友軍兵士と思い込んでいたのだが、陣地内の我々に対して突然マンドリン銃(ソヴェート製機関短銃)を乱射したので、敵だと分かった。はじめて敵兵を間近に見たわたしたち通信隊は騒然となり、酷い混乱に陥った。敵兵はたったひとりであったが、わたしたちはただ地面にうずくまったり、物陰に逃げ込もうとしたりで、反撃することも忘れた。

 いっぽう、第一小隊の橘中尉はただひとり奮戦し、家伝の脇差を引き寄せると静かに鯉口を切り、伏せた姿勢から身体を起こすや、抜き打ちに一閃、すれ違いざまに敵の右腕を肩先から斬り飛ばした。腕はなおも銃を撃ち続けたまま天高く飛び、それが地面に落ちるより速く、橘中尉は素早く刃を返し、対手の左首筋から右腰にかけて、袈裟斬りに斬り抜いた。この間、正に一瞬である。橘中尉は一刀流の達人として知られ、わたしも幾度か試合でその妙技を拝見していたが、実際の斬殺を見たのは初めてであった。

 路上のT-34が燃え上がった。砲塔によじ登った歩兵が火炎瓶を投じたものらしい。火のついた乗員が車内から脱出してくると、狙いをつけた軽機が彼らを掃射した。わたしは荒い息を吐きながら、ぼんやりとした気持ちでその情景を見ていた。血飛沫をあげて倒れる彼ら敵兵の姿が、わたしには酷く緩慢に、映画のスローモーションのように映って見えた。



 それを境に、敵は後退していった。我々は追撃しなかった。無論、戦意を喪失した敵に情をかけたからではない。
「また来るだろうな」
 橘中尉は軍服の裾で刀の血を拭って、静かに鞘へ納めた。橘中尉の白い略衣は、返り血で朱に染まり、いまではそれが乾いて、さらに褐色に変わっていた。
 この大路を押さえなければ、敵は江岸に到達できない。よしんば迂回して侵攻を続けたとしても、敵は腹背に我が軍を迎えることになる。

「それだけじゃない」
 橘中尉は戦闘帽に手を当てながら、雨に打たれる楼閣を見上げ、そこに翻る日章旗を、すっと指差した。「見ろ」。
「敵の奴ら、あれを引き降ろさねば気が済まないぞ。それまでは何度でもやって来るさ。どんなに死体の山を築いてもな」
 わたしは頷いた。彼らはそのために来たのだ。如何なる犠牲も厭わず、死に物狂いで攻めてくるに違いなかった。

 城門の前では敵の第二波に備え、我が軍の兵士が戦死した敵兵を運び、土嚢のうえにその亡骸を積み上げている。いまや街路の戦死体は片付けられ、生々しい流血の痕跡と、爆破され飛び散った瓦礫片だけが残された。雨中、野火のようにみだれ燃える炎が、赤く明るい。軽機に、砲に、陣地に取り付く兵たちは、その炎に照らされながら、多くは煙草を銜え、あのおぞましい戦闘のことなどすっかり忘れたかのようだった。

 橘中尉もまた土嚢のうえに腰掛け、煙草「かちどき」の紙箱を胸ポケットから取り出した。中尉はそれを口にし、そして顔をしかめた。煙草は敵兵の返り血を吸い、その色に染まっていた。
 中尉はそれを紙箱ごと握りつぶし、ポケットにねじ込むと、苦笑して頭を掻きながら、わたしを見上げた。わたしは思わず笑い返して、煙草を箱ごと中尉に差し上げた。

「おいおい、こんなにいらんよ。君も着けたらどうだ。一服」
 中尉はそう言ったが、嗜まないわたしには煙草は無用のものであった。封を切っていないわたしの煙草は、そのまま十本入っている。戦地では煙草の切れた者から死ぬという不思議な伝説があり、わたしはこの勇敢な中尉に、ぜひ生き延びて欲しいと思ったのだった。

 橘中尉は紙箱に片手を立てて拝むと、封を切り、中の一本を取り出して銜え、もう一本をわたしに向けた。わたしは差し上げたものだからと初め遠慮をしたが、
「持っていろ」
 きつい語調で言われたので、わたしはそれを胸のポケットに入れた。橘中尉は雨に濡れないよう手で煙草を庇いながら、慣れた手付きで火をつける。

 中尉は紫煙を吐きながら、わたしの顔を暫く見、それから訊ねた。
「少尉。おまえは、国はどこだ」
 わたしは、肥後熊本の生であると答えた。橘中尉は、奥羽の会津若松であった。
「白虎隊ですね」。わたしが言うと、中尉は
「おい、止してくれ。歳を食いすぎてるよ」
 わたしたちは笑い合い、それから暫し、歓談に興じた。

「奇妙なものだな」
 その途中、橘中尉はふと真顔に戻って、わたしに言った。
「おれは東北、おまえは肥後。それが同じ半島の戦地へ来て、こうやって雨に打たれてる。どうだろう? かつて、おれたちの遠い父祖の中で、いつか、こんな風に話し合った奴らが居ただろうか」

 わたしはそう言われて暫し沈黙し、そしてもう一度京師の城壁を見上げた。雨は幾分小降りになっている。黒い瓦屋根が濡れて、白くつややかに光っていた。整えた木材を幾重にも組み合わせて築かれ、瑞兆を模した装飾に彩られる楼閣。それを支える石造りの城門が暗く、半月型に口を開けている。街路は開け、此処からは扇状に広がって見える。沿道の潰れた家屋・商店から燻る白い煙。路上に散らばる血痕。そしてその上に燦然とはためく日章旗を視野にしながら、わたしは改めて中尉の言葉を胸にした。我が国の歴史上に、かつてこのような経験があったか否かである。

 城壁の前には、我が軍の士卒がたむろし、思い思いの格好で、束の間の休息を取っている。わたしは彼らの顔貌に視線を転じた。そしてそこに在る彼らを見たとき、わたしは、思わず瞠目した。わたしがそこに見出したものは、穂先に白い雨滴を止めた長柄の槍の列であり、甲冑を付け、剣を帯した、古色蒼然たる往古の兵士たちだった。

 かがり火が街路の空気を焦がし、その明かりの中で、彼らの黒い影が揺らめいている。飛び交う命令と兵士の機敏な動き。盾を挟んで弓を掛け、束ねられた矢羽が矢筒の先から覗いている。それらの幻影は、身近に立った鍔鳴りの音で、わたしが我に返るまで続いた。

「どうした?」
 その声に振り返ったわたしは、鍔鳴りの源が橘中尉の脇差だったことを知った。わたしは静かに首を振り、土嚢のうえに腰を降ろすと、中尉に言った。
「きっと、居たに違いありませんよ。この場所に」
 橘中尉は、暫しの沈黙のあと、「そうかもしれんな」と一言呟き、それからわたしたちは、遠い北空を見上げた。京城の市域の赤い炎の色が、そこへ映って、燃えていた。

 我々の遠い祖父。一二〇〇年前、この地で戦った彼らも、あの空を見ただろうか。霧雨に煙る街路の中で、わたしは思った。




コメント

No title
因みにまだつづくよ。
2009/07/29 22:36URL  廠長 #Iu2BPJvY[ 編集]

No title
おや

朝鮮戦争の第三部でしたかw

別の作品と勘違いしてましたw

続きが楽しみです
頑張ってくだしあ
2009/08/01 00:07URL  キ100 #eYj5zAx6[ 編集]

No title
キ100さんこんにちは。
そうですよね、いきなりタイトルつけたら分からないですよねw
失礼しました。

続きは九月ごろになると思います。
八月は夏休み記念で艦魂短編を一本書きます。
(フォークランドではないです念のため)
2009/08/01 00:32URL  廠長 #Iu2BPJvY[ 編集]

No title
艦魂キタァァァ

すみません 取り乱しました

廠長の書く艦魂は
とても大好きなので
楽しみです

未完の清算とかetcも
出来れば、ゆっくりで良いので
更新していただけると
狂喜乱舞なのですが・・・


更新頑張って下さい
2009/08/01 02:35URL  キ100 #eYj5zAx6[ 編集]

No title
ははあ、これはどうも。書き甲斐がありますね。
がんばります。

疲れて家に帰ってきた夜などには、
蜜柑の奴もぼちぼち片付けていかないと…、と密かに思ったりしてます。

すぐには出来ませんが構想はあります。
暫しお待ちあれ。
2009/08/02 00:05URL  廠長 #Iu2BPJvY[ 編集]


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