革命国家が勝利に向かって前進する玉川上水のブログ

駿河南海軍工廠の後継。近現代史小説を中心に掲載。

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「東京月島・浮き船台十三号」といえば、土地(ところ)の者で知らぬ人間はまず居ない。
 それはそのぐらい巨大で、覆いがたい違和感と、周囲への不和があり、風景の一部となって溶け込むことを、ひたすら拒否しているようだった。誰もが、目を留めた。


「ここからも見える」
 珈琲で満たされた湯呑み茶碗を両手の中に抱えて、私は窓を見ていた。高々と聳える檣楼、主砲塔から伸びる太く長い砲身、偉容を誇る煙突が、それぞれ黒々とした影になって、通りに連なる商店の軒の向こうに、遠く、しかし大きく、静かに佇んでいた。

「ん、何か、仰いましたか。刑事さん?」
 応対の四十がらみの警官が、私に振り返った。私は視線を変えずに、それを指で差し
「ほら、正面のあれだよ。見えるだろう?」
 と言った。こんなに大きく見えているのだ。見えないわけはなかった。
 警官は私の向かいの席に、ゆっくりと腰を降ろしながら、
「ああ、『廃棄物』のことですか」
 と、愛想よく笑って答えた。
「私は何しろ、年中見てるもんで。この辺であれが見えない場所なんて、まず、ありませんからなぁ」

 私は正面に向き直り、顔を上げて、彼を見た。
「廃棄物って?」
「こりゃぁ失敬」
 彼は短く刈った頭をすこし掻きながら、
「漁師って奴は、昔から口が悪くってね。あの『十三号』は、見ての通りの戦艦だが……ああして動かなくなってから、もう長い。向かいは築地の魚上げ場だ。で、付いたあだ名が」
「廃棄物。廃棄物十三号艦。というわけだな」
「そういうわけですな、つまり」
「いつからあそこに?」
「さぁ、ねぇ。わっしが初めてここへ来た時にはもうあそこに居りましたし、少なくとも二〇年、というところですか」
「二〇年。昭和二七年か」
「分かりませんがね。もっと前かもしれませんよ?」

「寺尾さん」
 そのとき廊下の先から、若い男が現れ、私に言った。
「大体のことは、掴めました」
 本庁で、課長が私に付けた男だった。名を三原という。三原は大判の封筒を手にしていた。
「おう。早かったね」
 私は彼に答え、トレンチコートを取って席を立った。
「お勤めご苦労様で御座います」
 所轄の警官の見送る言葉を私は背中に聞き、我々は月島の署を後にした。二月も中頃を過ぎている。外には寒々しい冬空と冷たい海風、そして「十三号」が待っていた。



 昨夜のことである。
 月島の西、東京竹芝桟橋に入った海軍の徴用船「阿波丸」は、深夜、謎の爆発を遂げ、木っ端微塵となった。
 一万一〇〇〇トンの同船、乗組員二〇〇〇余名のうち、一人として助かる者の無い、大爆発であった。
 その轟音は皇居の外周に位置する桜田門・警視庁にまで届いたというから、相当である。

「昨夜の竹芝の爆発事件。知っておるな」
 明くる朝、私は特高一課の佐々課長から呼び出しを受け、出頭した。知っております、と私は答えた。
「今日は朝から色々な連中が来て大騒ぎだが……まだ何も出とらん。死体ひとつ、浮かんで来ない」
 課長は席を立って、窓のカーテンをすこしめくった。薄暗い室内に鋭い朝日が差し込む。

「しかし、まさか消滅してしまったわけでもないでしょう」
 と私は言った。
「そうだが、事は海の上だからな。しかも船体は爆発後一瞬のうちに、海の底と来てる。海軍の発表を借りれば、まさに『轟沈』さ。寺尾君」
「核爆弾でも積み込んでいたのですかね」
「核爆弾ではないが、『阿波丸』は海軍の弾薬船として使用されていたらしい。二月十六日、大連出港。二日の航海を終え、十八日東京竹芝桟橋着、の予定だった。積み荷は満州国内の工場において製造された弾薬類一千トン」

「どこで嗅ぎ付けましたかな、赤軍派の連中……」
「奴らの仕業と思うか?」
 佐々課長は振り返ると同時に、私に訊いた。容共的な武闘集団である赤軍派は、我々特高警察の主要取締り対象であるとともに、凶悪なテロリストであった。彼らはソビエトや支那は無論のこと、ベトナム・カンボジアなど赤化仏印や、中東の革命諸国を介して武器弾薬を買い付け、年々、その武力を増強させていた。

「可能性はあります」
 と私は答えた。
「密かに小船を横付け、直接爆発物を仕掛けたか、湾岸から携帯式対戦車噴進弾を使用する手もあります」
「そんな程度のもので一万トンの船が粉々になるわけがない」
 佐々課長は椅子に腰を降ろし、机の上で手のひらを組んで、
「……と、普段ならそう言うところだろうが」
 声を低めて、そう言った。

「どういうことです?」
 私は眉間を寄せ、訊き返した。佐々課長はすこし口元に笑みを浮かべて、
「実は、竹芝に程近い埋立地の月島署から、面白い報告が上がっている。爆発は二度起きたと、そう言って来ている」
「二度? 『阿波丸』が、二度爆発したのですか」
「そうかも知れん。そうでないかも知れん。そうでないすれば、どういう可能性がある?」
 私は先ほど自分で言った言葉も踏まえて、考えてみた。もしも沿岸から何かが発射されたとすれば、その時は、爆発は二度起こる。爆発音も二度、聞かれることだろう。

「では本当に、赤軍派が」
「可能性はある。君が言った通りな」
 佐々課長は腕を組んで、わずかに頷いた。
「誰かひとり、若いのを付けてやろう。ご苦労だが、すぐ行ってくれ」



 帝都東京を南北に貫く隅田川が、東京湾を経て太平洋へと注ぐ、その鉛色の河口の上を、小さな連絡船が行き交っている。
 私たち二人もまた、月島埋立地から築地へ向かう、一艘の船の上にあった。乗客は私と三原のほかには、色褪せた上着を羽織り、頭の禿げ上がった五十男が、すっかり皺になった競馬新聞を抱いて、こっくりこっくり、居眠りしているだけであった。

「では、爆発が二度ということは、どうやら間違いが無さそうだな」
 私は三原の資料を片手に呟いた。三原は「ええ」と頷き、
「今のところ物的証拠は何もありませんが、証言はすべて一致しています。やはり、爆発は二度起きたんですよ」
 聞き込みの結果から、三原はどうやら、すっかりそう信じ込んだようだった。だが勿論それだけでは、赤軍派テロリストや、その他の何者かの犯行であると断定することはできない。

 私は船べりから、煙草の灰を東京湾に落とし、頬杖をついて、船の左舷側を見た。昨日の「阿波丸」爆発事件の捜査のためだろう。竹芝桟橋付近の一帯は、海軍の砲艦や小型艇によって封鎖され、一般の船舶の姿は見られない。しかし私の目をより強く惹いたものは、多くの水兵とともに忙しなく立ち働く、それらの警戒艦ではなく、埋立地に繋がれ、鋼鉄の巨体を黙然と横たえる、あの「廃棄物」の姿だった。それはまるで、戻らぬ主君をいつまでも待ち続ける、荒れ果てた無人の城だった。

「二〇年か……」
 私は「十三号」の黒い艦影を見ながら、短く呟いた。海へ出て、その側へ寄ると、艦全体がやや右側へ傾斜していることが分かった。「十三号」は艦首を海へ、南に向けて繋がれている。そのすぐ先に広がる太平洋は、無限の広がりを持ち、どこまでも遥かに続いている。
 だが、ここにこうしてうずくまっている、この鋼鉄の集合体は、もはや、大海原を縦横に駆ける大戦艦ではなかった。それは廃棄物であった。朽ち果てた「廃棄物十三号」でしか無かった。

「誰からも忘れられ、ここにこうして二〇年間、ただ黙って座って居たというのか。華やぐ帝都に背を向けて、この『十三号』は」
「まだ、所管は海軍にあるはずです。海軍は手入れをしているんでしょうか?」
「分からない。しているとしても、この有様だ。たかが知れているさ」
「そうですね。……あれ? 寺尾さん」
「どうした?」
「その足元の、何ですかね。座席の下の」
「どれだ。見えないが」
「これですよ」

 三原は席の下に転がっていた、水色のテープレコーダーを見つけ、拾い上げた。悪い乗客に盗まれないよう、船に鎖で繋がれている。テープは回っているが、音が出ていない。
「テープレコーダーだ。おかしいな? 壊れているんでしょうか」
「音が小さいのかもしれない。音量をひねって見ろよ」
 三原は言われたとおり、音量のつまみをそっと回した。レコーダーから、アナウンスの女性の声が聞こえてきた。
 月島埋立地と築地を結ぶ、隅田川河口の見所を案内するためのテープだった。自動的に巻き戻して、何度も繰り返し再生する設定になっている。アナウンサーは言う。

『……北の空、東京芝公園に聳えます帝都昭和塔と対を為すのが、南に浮かぶ月島埋立地・浮き船台十三号でございます。帝国海軍の八八艦隊計画・第十三番目の戦艦として、大正十五年に建造されました。四六センチ砲を世界で最初に搭載した戦艦で、大東亜戦争後は、ハワイ軍縮会議の結果、廃艦にきまり、月島埋立地に係留されました。現在では埋立地のシンボルとして、多くの市民に親しまれ……』



 喧騒の絶えることがない、築地の魚市場であった。
 荒っぽい漁師たちの声。交渉する営業員。甲高く引きつった叫びは、どこかで喧嘩でもやっているのだろう。
 私は三原を連れ、その人だかりや列の中を、掻き分けながら歩いた。

「寺尾さん。どこへ行くんですか」
「聞き込みだ」
「誰にです? 日本人ですか?」
「来れば分かる」とだけ答え、私は歩を進めた。三原はどうも、こういう場所にはとても不慣れなようだった。
 出店を出している、背の低い痩せた男が居た。他の同業者たちと同じように、ねじり鉢巻を締め、前掛けをしている。私は声を掛けた。

「おい、新八」
「うわっ。出た」
 新八は、即座に逃げ出そうとした。その襟首を私は掴んだ。ゴム長を履いた両足が、まだがに股で動いている。
「まぁ、まぁ、まぁ。そう慌てるな。俺だよ。よく見ろ、この顔を」
「あっ、あっ……なぁんだ、旦那かぁ。脅かさないで下さいよ、そんな格好でまったく、止めて欲しいなぁ。制服の方がどれだけマシか知れねえや」
「その様子じゃ、まだアコギなまねをしているらしいな?」
「とんでもねえ、旦那。わっしはこうして真っ当にかたぎになって……でもその姿(なり)じゃぁ、誰だって逃げ出しまさぁ。冗談が通じないんだから、特高は。ああ、まだ震えが止まらねぇや」
「そう怖がるな。何も拷問に掛けようというんじゃないからな。協力すればだが」
「これだもんなぁ」
 新八は私たちを出店の裏に回した。裏は駐車場になっていた。

「で、今日は何のご用で」
「竹芝の件でちょっとな。昨日、爆発があっただろう」
「ええ。あれはそう、夜中の、二時ちょっと過ぎでしたね」
「まだ起きていたのか?」
「いや、漁師は朝が早ぇんで。わっしはもう寝て、起きたとこでした」
 三原は鳥打帽をちょっと斜めにして、懐から万年筆と、手帳を取り出した。私は続けて訊いた。

「爆発音を聞いたか?」
「聞きましたよ。すげえ音でもう、驚いたの何のって。となりのお篠婆さんなんて、びッくりして腰抜かして、床まで抜けちまって」
「爆発音は何度だった?」
「二度です」
 やはり、二度であった。だがここまでは、既知の情報である。私はより深く、詳細に、その二度の爆発の正体を知る必要があった。つまりそれらの爆発が、「阿波丸」が二度爆発することで起きたのか、そうでないのか、であった。

「閃光を見たか」
「へっ?」
「爆発の光だ。その瞬間を見たか?」
 私は深夜でも起きて働いていることの多い漁師なら、爆発の瞬間を見ているかもしれないと思ったのだった。その閃光がもし、海上以外の場所、例えば湾岸の陸地から上がったとすれば、テロの可能性は濃厚になる。もっと人や設備を動員し、大掛かりな捜査も可能になるはずだった。

「さぁてねぇ……」
 しかし新八の返事は、あまり芳しいものではなかった。
「それはわっしも、ちょっと分からねえ」
「どうしてだ?」
「いや、その時わっしはね、ちょうど便所に入ってて。だから何にも、見てねえんですよ。慌てて飛び出した時にゃぁもう、『阿波丸』は火と煙になっちまってた。竹芝の沖でね」

「嘘じゃないだろうな」
「嘘なんか吐いてどうなりますかい」
「新八。お前、もしもあとで、お前がそれを見てたということが分かったら、お前の首は、胴体に付いておらんことになるぞ。本当のことを言え」
「と、とんでもねえ旦那。旦那に嘘なんか吐くもんか。わっしは確かに見てねえですが……そうだ、稲富の親分なら何か、見ているかもしれない」

「何者だ?」
「わっしと同じ船乗りでして、昨日は夜に船を出すって言ってたから、爆発があった頃、ちょうど戻ったはずだ」
「なるほど」
 三原は横目で私を見て、低く言った。
「それなら爆発を見ているかもしれませんよ」
「確かにな」
 私は新八は嘘を吐いていないだろうと思っていた。私はその「稲富の親分」とかいう男の住処を聞き出し、三原にメモさせた。

「邪魔したな新八。ありがとう」
「ちょ、ちょっと待ってくれ旦那」
 三原が手帳を懐にしまったとき、新八がうろたえた声で言った。
「ひょっとして、これから親分に会いに行きなさるんで」
「そうだが?」
「それはお止しになったほうがいい。稲富の旦那は、親分と言われるだけあって、チンピラをごろごろ抱えてますんで、旦那たちが行けば、きっと揉め事になります」
「チンピラが怖くて過激派と戦えるか?」
「そりゃぁそうですが、遠い先祖は海賊だったってうわさです」

「海賊? 海賊はご法度だ。引っ捕まえて何年でも留置所にぶちこんでやるぞ」
「こまるなぁ。まともなお役人の言葉じゃねえや」
「心配せずとも良い。お前の名はけして口に出さん。それより、これで何かうまいものでも食え」
 私は一円紙幣を一枚、二つ折りにして新八に手渡した。
「へっ、もったいねぇ。……旦那、本当にお気をつけて」
「あんまり食い逃げするなよ。三原、手帳を見せてくれ」
「はい」
 私は三原の手帳を開き、先刻の「親分」の住所に向かった。
 海に面した広い駐車場の向こうには、やはり、長々と身体を伸ばす「十三号」が見えている。



 新八の言う「親分」の根城は、魚市場からすこし南へ歩いた、浜離宮庭園に間近いことが、歩いているうちに分かってきた。
「対岸に来ても『十三号』のやつ、まだあんなに大きく見えてますね」
 信号待ちのあいだ、埋立地の方向を見ながら、三原が言った。「ああ」と私は頷く。

「それよりも、三原。俺は、今まで考えていたことがある」
「なんでしょうか?」
「これは、佐々課長も仰っていたことなんだが……」
「はい」
「昨夜吹き飛んだ徴用船『阿波丸』は、元は日本郵船の民間船だったとはいえ、一万トン以上の大型優秀船だ。それが爆発とともに一瞬で四散し、一人の生存者も居ない。そんな芸当が可能だろうか。外部の犯行だとして、どんな手を使ったと思う?」

「そうですね……」
 三原はすこし考えてから、
「『阿波丸』の積荷は、大量の弾薬でした。赤軍派のテロだとすれば、まず、船員に化けて船内に紛れ込む。そして弾薬庫を爆破する」
「相手は海軍の弾薬船だぞ。警戒は厳重だ。それに、船自体に爆発物を仕掛けたなら、爆発音は一度だ」
「ふうむ、確かに……。しかしそれ以外の手段、例えばベトナム土産のRPG-7程度では、とてもあれほどの完全な破壊は出来ませんよ」

「対艦ミサイルでも買い付けたかな?」
「まさか、そんな」
 三原がそう言いかけ、振り返った時だった。
 三原の眼前に、あの「十三号」の黒い影が、視野一杯に広がっていた。
 そして三原は、書類鞄の取っ手を握り締めたまま、小刻みに震え始めた。
 ひどい恐怖と戦慄が、あっという間に、彼の心を支配した。物言わぬ「十三号」のシルエットが、その瞬間、刹那の内に、彼の世界を蝕み、席巻したのである。

「おい、何してる?」
「えっ?」
 私は横断歩道の真ん中から、何か呆然と立ち尽くしている三原に声を掛けた。信号は青に変わっている。三原は数度、まばたきした。そうして三原は、もう一度埋立地を振り返った。湾の対岸には、埋立地に林立する工場の吐き出す白煙の下に、みじろぎもせぬ「十三号」の姿が見えるだけだ。
「早く行くぞ」
 信号が点滅し始めている。私は先に歩き出した。三原もすぐ、後を追って駆けて来た。
 彼はどうしたのだろう。一日中歩き回って、疲れたのかもしれない、と私は思った。



 浜離宮庭園を歩いて過ぎ、暫く行ったところに、「親分」の住処はあった。
「ここだな」
 私は三原に手帳を返すと、木の門を、ドンドンドン、と三度叩いた。
 屋敷内からの反応はなかった。

 私は今度は、四度叩いた。すると潜り戸が開いて、無頼漢のひとりが顔を覗かせた。
「どちら様?」
 と無頼漢は言った。
 頭をパンチパーマにし、柄物のシャツを着た、一目でそれと分かるような男だった。
「親分さんに話があって来た」
 私が言うと、無頼漢は
「誰だと訊いてるんだ」
 今度はすこし声を低めて来た。私は三原に顎で合図をした。三原は懐の手帳を見せ、
「警察だ」
 と言った。

「げぇっ……」
 そう呻いた男は、もはや顔色がなかった。
「が、ガサ入れだッ」
 男は叫ぼうとしたので、私は彼を気絶させ、三原とともに潜り戸を抜けて屋敷に入った。
「なんだなんだ、てめえは」
 たちまち数人の無頼漢たちが邸内から現れ、口々に喚き立てた。みな手に手に木刀や、何かの得物を持っている。私は警察手帳を出して高く掲げ、無頼漢連中全員に見せた。
「手向かうなッ! 我々は特高警察だ。それともお前たちは国賊となって、売国奴として、末代までの晒し者になりたいか」

 そうすると誰も、逆らう者はなかった。元々こうしたやくざ組織は、左翼の革命集団とは異なり、どちらかと言えば我々を助けてくれることが多かった。
「お上の御用により、調べていることがある。話を聞くだけだ。お前たちの親分はどこに居る?」
「刑事さん、お役目ご苦労さんに存じます」
 無頼漢の中で頭領格と見られる男が、庭へ降りてきて、私へ平伏した。すると他の無頼漢も、みな一斉に庭へ降り、その場で正座して、私たちにこうべを垂れた。

「しかしながら稲富のお頭は、いま病を致し、床に臥せっておりますので」
「病? だが昨日は漁に出ていたと聞いたが」
「その話は失礼ながら、どちらさんから聞かれたんで……」
「そこの、門のところでのびている男だ。一息にそれだけ喋ると、勝手に転んで、気絶してしまったのだ」
「おたわむれを申されては。そんなばかな話が」
「ばかだと? きさま警官を侮辱する気か!」
「いえ、いえ……」
「しかし『ばか』と言ったッ」
「め、滅相もございません」
「だが現に病だなどと称して会わそうとせず、お上の御用を妨げるが如き振る舞いをしているではないか。これはおかしいぞ、何か裏があるに違いない。そうだ分かった、お前はアカだろう!!」
「勘弁してくださいよう」

「いったい何の騒ぎなの?」
 その時邸の奥から、立派な着物姿の若い女性が現れた。私はそれを待っていたのである。私は彼女へ向き直った。
「失礼ながら、奥様でございますか」
「ええそうよ。あなたは?」
「警視庁特高課、寺尾正大であります。命令により、昨夜の『阿波丸』爆発事件を調査しております。ご主人にお目にかかりたく、参上致しました」

「ああ、竹芝の……? 何やら大変な騒ぎでしたとか。けれど、そこの政吉の言うことは本当よ。主人は病気ですの」
「そうですか」
「けれど、人に会えないほどの重病でもありません。いえ、むしろこれは、心の病、気の病と申しますか」
「ははぁ……」
「政吉」
「ははっ」。先ほどの頭領格の男が平伏したまま答えた。
「お二人をいつまでそこに立たせておくつもりですの? お国のために命がけで、大事なお仕事をなさっている人たちですよ。早くお通し申し上げて」



「主人は確かに、昨日の夜、漁に出かけました」
 稲富のお内儀(かみ)さんがそう言った。
「そして爆発が二度……。主人が帰ってきたのは、それから暫くしてでございました。出かける前、わたくしがお見送りしたときとは段違いの、生気の抜けた青白い顔で」
「そして、床に臥せった?」
「そうですわ」

「奥様」
 私は膝を進めて、稲富のお内儀さんに顔を上げて言った。
「やはりご主人は、昨晩、何かを目撃したのだと思います」
「わたくしも、そう思います。けれど、何があったのか、何を見たのか……わたくしが訊いても、てんで上の空の様子なのでございます」
 私はこの時点で、親分に直接会って、話をする決意を固めていた。
 稲富親分は漁の帰り、爆発のあった瞬間に、何かを見たのだ。何か恐るべき、一種信じがたいような、何かを。私はそのことを改めて、お内儀さんに頼んだ。

「宜しゅうございます」
 お内儀さんは深く頷いてみせてくれた。
「身内の恥を晒すようでございますが、この稲富のお鷹、お国のために一肌脱ぎましょう」
 お鷹さんが寝間の襖をそっと開くと、二月だというのに、中は何やら、むんむん蒸し暑かった。障子が開けられていて、窓から夕陽が差していた。

「あなた」
 お鷹さんが、そっと声を掛けた。稲富の親分が、その時何歳であったか、私は知らない。しかし私がそこで見た親分の姿は、老人以外の何者でもなかった。
「誰だ」と老人は言った。
「わたしですよ。あなた」
 もう一度、お鷹さんがそう言うと、稲富老人は
「ああ、ああ」
 と緩慢に二度頷いて、「そうか」と言った。
「お前だったのか。お鷹」

「主人は、目が見えません」。そっと、お鷹さんが私たちへ耳打ちした。
「盲目で、海へ?」
「帰ってからです。出かけるときは、見えていました」
「急に、失明したというのですか」
「はい、突然。それに急に、老け込んでしまったように思います」

「誰か、そこに居るのか? お鷹……」
 老人が言った。
「警察の方です」
「警察。そうか。それは、ご苦労なことです。何ぞ、ご用かな?」
 私は膝を進めて、稲富の親分に言った。

「昨晩の、爆発の件で、お伺い致しました」
「爆発」
「ご存知ですか?」
「知っているとも。おまわりさん」
「あの晩爆発は、二度、ありましたね?」
 私が訊ねると、稲富老人は、かなりの間を置いて、
「二度……」
 と言った。
「そうです。昨日の晩、竹芝の沖に、徴用船『阿波丸』が爆発炎上したとき、爆発は二度起きたのです。そうですね」
「ちがう」
 老人は激しく、何度も首を横に振った。

「爆発は一度だ。爆発は一度だよ、おまわりさん」
「なんだって?」
 身を乗り出した三原を制して、私は稲富老人に呼びかけた。
「稲富親分。私たちはこれまで、多くの証人をまわり、たくさんの証言を得てきました。彼らの証言は一様に同じです。『爆発は二度』。そして、そう証言した人たちに共通することが、実は、もうひとつあるのです」
 私は言った。
「それは彼らの証言のすべてが、音だけのものだということです。誰も、『阿波丸』轟沈の瞬間を、目撃した者は居ない。彼らはその瞬間を見ていません。だから、立て続けに二度起きた轟音を、『爆発音』だと思い込んだ。だが、あなたは違う」

 稲富親分、と私は再び老人に呼びかけた。
「あなたは、何を見たんですか?」
 稲富親分は、暫く、沈黙をしていた。
 そして、黙ったまま右手で、両まぶたを覆うと、
「俺には、もう何も見えない」
 呻くような細い声で言った。
「だが、俺には見えるのだ」
 そして老人は、おもむろに立ち上がると、障子窓に足を掛け、窓ガラスを開け放った。
 二階家の窓から、あの「十三号」が見えた。

「見ろ!!」
 稲富老人は腕を振り回し、わめくように叫んだ。
「いま戦艦の檣楼に、日輪の旗印が昇った」
 私と三原は、黙ってその姿を見ていた。
「朽ち果てた無人の戦艦に、英霊が帰って来たのだ。すべての歯車が生きている。艦橋に立つ艦長の男が、腕を掲げるのが見える。測距儀が動き、標的を求める主砲身。狙いは定まった。艦長の腕が振り下ろされる。『撃ち方始め!』。轟音一発。敵船、たちまち火柱を上げ、木っ端微塵に吹き飛ぶ。ああ勇ましきかな帝国海軍の艨艟」

 窓から飛び降りそうになった稲富老人に、お鷹さんがしがみ付き、畳の上に引き摺り倒した。
「寺尾さん!」
 三原の呼びかけを、私は背中に聞いた。
「戦艦が、砲を撃ったんだ。何者かがあの『十三号』から。誰かが、『廃棄物』を使ったんですよ!」
 私は、ただ沈黙しているよりほかに、方法がなかった。



 我々は一連の捜査結果を、佐々課長に報告の上、捜査本部へ伝えるため、本庁へ戻った。

 提出する報告書には、まず間違いのない事実として、当日夜、爆発音のような轟音が二度聞かれたこと、そして継続調査を要する情報として、月島埋立地の「浮き船台十三号」、通称「廃棄物十三号艦」が、「阿波丸」撃沈の目的で使用された可能性があること、などを盛り込んだ。

 ところが、佐々課長の執務室へ入った私が、
「報告いたします」
 と、言ったときであった。
「報告を受理しない」
 佐々課長は、私へ背を向けたまま、即座にそう言った。

「は……?」
 私が戸惑いを露にしたとき、佐々課長はこちらへ振り返り、口元をすこし歪めた。
 その表情が何なのか、私には分からなかった。それは笑みにも見えたし、内心の苦悩の表れのようにも見えた。だが、次の瞬間に佐々課長から出た言葉は、謝罪の言葉だった。

「今回のことは、すまなかった。寺尾君」
「何のことですか」
「まぁ、掛けてくれたまえ。今回の事件はな、すべて解決したんだよ」
「解決した?」
 私は応接用の椅子に腰を降ろしてから、眉をしかめて、訊き返した。
「どのように解決したのですか」

「……『阿波丸』乗員のひとりが」
 佐々課長は執務机に手の平を組み、その上に顎をのせて、私から目を逸らしながら、私に答えた。
「船もろとも自爆をし、自殺を遂げたのだ」
「何という乗員ですか。残骸はおろか、死体さえ揚がらなかったはずです。課長は私に」
「自爆したのだッ!」
「………」
 私はそれ以上、何も言い返すことができなかった。

 佐々課長は再び席から立ち、カーテンをめくって、窓の外を見た。夜になり、帝都は雪になっていた。
「捜査本部は解散した。きみは長野へ行ってもらう」
「長野?」
 私は顔を上げて訊ねた。「長野に何があるんです」。
「ちょうど本日のことだ」
 佐々課長は言った。
「銃器で武装した、連合赤軍の数名のメンバーが、軽井沢にある保養所・『あさま山荘』を占拠、篭城した。警視庁特高一課は、この解決に全力を注ぐ」

「では『阿波丸』のことは……いや、『十三号』は」
 私は震える声で、佐々課長の背中に言った。
「忘れ去られるのですか? 闇から闇へ、葬られてしまうのですか」
 佐々課長は、暫しのあいだ沈黙した。彼は静かな声で、「そうだ」と言った。

「寺尾君。わずかな時間の中で、君はどうやらこの事件の真相に、かなり近付いたようだ。だが、我々人間ひとりの力では、どうすることもできない大きな力が、この国には存在する。それが、我々の帝国なのだ。我々特高は、この帝国が一日でも長く続くために、努力をしなければならない。帝国が続くために、あってはならないこと、起きてはならないことが起きたとき、我々は、それを忘れなければならない。我々だけではなく、すべての国民に、それを忘れさせなければならないのだ」

 私は、何も答えなかった。時計が、午後十時三〇分を指している。
「支度をしたまえ。私もあとで追う」



 この時、我々特高一課も加わった、いわゆる「あさま山荘事件」は、その後、戦後警察史に残る一大事件となり、後々まで長く語り継がれることとなった。
 その模様は、全国のテレビ局によって、各家庭にリアルタイムで中継され、その白熱のうちに、いつしか人々は、東京竹芝の沖で起きた、あの事件のことを忘れた。

 月島埋立地・「浮き船台十三号」が、いつ解体されたのか、正確なことは、今でも私は知らない。
 長野での事件と、その後の事務処理を終えて、再び月島へ赴いたとき、あの「廃棄物」は、既に完全に廃棄された後であった。
 私はまたあの時のように、埋立地から築地へ向かう、連絡船に乗り込んだ。
 座席の下をまさぐると、チェーンだけが、そこに残っていた。あの時船に固く繋がれていた、水色のテープレコーダーは、誰かに鎖を切られ、恐らくはそのまま、持ち去られたものであろう。

「どこへ、行っちまったのかな……」
 私は左舷側に広がる東京湾と、太平洋を横目にしながら、船べりから煙草の灰を落とし、そう呟いた。
 埋立地の岸壁に、あの長い長い鎖が、人知れず残されている。
 私はそれを見ていた。




(『廃棄物十三号艦』/終)

コメント


伝奇SFですね。これは、面白い。私は好みの作品です。
素直に一日待った甲斐がありました。

オマージュされている作品は「鬼平」「廃棄物13号・パトレイバー」「突入せよ浅間山荘事件」「実録下山事件」「東京事件」「宗像教授伝奇行」でしょうか。それですべてとは思えませぬが、読み切り短編というには随分と力の入った作品のようにお見受けします。映像化したり、劇場化すると効果的な作風でしょうか。
話の展開と謎に迫る度に目に入る13号艦の描写がうまくかみ合っていて、モノクロ映像として影になった13号艦が目に浮かびます。昭和の月島の風景には確かにああいった怪奇なるものが似あう風情があった様に思います。

幕切れのあっけなさとその消え方は、平和な時代の時代錯誤な「戦艦」という怪物には、それしかなった、ということでしょうか。

長編でもいけそうですが、ちょっと新境地、開拓したんじゃないでしょうか? 廠長?
2010/02/15 23:08URL  ツンドラッヘ #IVWpImkQ[ 編集]


ではあとがきも兼ねましてお返事を。
まず、最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

電波の受信元は、パトレイバーの劇場三作目「廃棄物13号」、
書き方・進め方は「鬼平」、社会背景は「あさま山荘」、って感じですね。
十三号艦の艦影がしつこい位何度も出てくるのは、多分「2001年宇宙の旅」のHAL9000コンピュータの影響です。

以前、浅草から隅田川水上バスに乗って、川下りをしました時に、
「ここにさぁ、いきなり朽ち果てた十三号艦とかがあったら楽しくね?」(私)
「まーた廠長の変な病気が始まった」(某ゴロンとさん)
てなことがあったのですが、それから二年ばかり経ちまして、私自身もすっかり忘れていたところへ、
「今日はクトゥルフ神話RPGで、『廃棄物13号』ネタをやるぞー」(某飛龍さん)
ということが先週の土曜日にあり、それでふと思い出して、書き始めたのが昨日の夜というわけでした。

つまり「廃棄物十三号『艦』」という構想自体は、結構以前から存在していたのですが、
技術的に難しそうなので先送りにしていたものを、今回背伸びして、頑張って書いてみた、という具合です。

映像化は…そういう奇特な映画監督さんが居てくれればいいけどなぁ。
モノクロですよ勿論。
2010/02/16 00:11URL  廠長 #w1X/gZh6[ 編集]

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2010/02/16 20:49  #[ 編集]


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